むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記331 存在の意味を考え続けた哲学者たち① 西洋哲学の源流~プラトン

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は存在の意味を考え続けた哲学者たちシリーズの第一弾!

 

西洋哲学の源流とされ、ギリシア哲学の主要な人物

 

プラトン(前427-前347)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3

 

プラトンは紀元前427年にアテネ最後の王コドロスの血を引く一族として、アテナイに誕生します。

 

若いころのプラトンソクラテスの門下で哲学や対話術を学びながら、政治家を志していましたが、

三十人政権やその後の政治にプラトンは幻滅し、国制・法律などの研究は続けたものの、現実政治への関与は避けました。

 

特に紀元前399年に師であるソクラテスが、裁判にかけられ、死刑となったことが大きな契機になったと言われています。

 

紀元前388年ごろにシケリア(シチリア)、エジプトを遍歴し、ピュタゴラス派やエレア派などと交流をもったとされます。

 

帰国後、プラトンアカデメイアの地に学園を設立し、地名そのままに「アカデメイア」と呼ばれるようになります。

このアカデメイアでは、天文学、生物学、数学、政治学、哲学等が教えられました。

そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって教育がなされました。

 

プラトンの門弟であるアリストテレスは紀元前367年にアカデメイアに入門し、

20年間学業生活を送ります、

 

紀元前367年に2回目のシケリア旅行に行き、若き王を指導して、哲人政治を目指しますが、流言飛語によって、シケリアを追い出されてしまいます。

 

紀元前361年にもシケリアへ渡りますが、政争に巻き込まれて、軟禁。

なんとか脱出します。

 

プラトンの存在の思想で有名なものに「イデア論」というのがあります。

「個々の事物をそのものたらしめている根拠である真の実在」とプラトンは定義しました。

 

またこのような考えのようです

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生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。不完全な人間の感覚ではイデアを捉えることができず、イデアの認識は、かつてそれを神々と共に観想していた記憶を留めている不滅の魂が、数学・幾何学や問答を通して、その記憶を「想起」(anamnêsis、アナムネーシス)することによって近接することができるものであり、そんな魂が真実在としてのイデアの似姿(エイコン)に、かつての記憶を刺激されることによって、イデアに対する志向、愛・恋(erôs、エロース)が喚起される

 

参照 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3

 

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上記のようにプラトンは「存在」をとらえました。

 

晩年はアカデメイアでの教育と著述に力を注ぎ、80歳で亡くなります。

 

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◆名言

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愛のない選択は、決して良い結果にはならない

 

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「不正」はお互いの間に不和と憎しみをつくり出し、「正義」は協調と友愛をつくり出す

 

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子供が暗闇を恐れるのは理解できるが、成人が明るみを恐れるのは全く悲劇としか言えない

 

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一流を目指す者は、自分自身や自分に関する事に囚われず、自分でなそうと、他人によってなされようと、その事(自体)だけに愛着せよ

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自分を幸せにする要因を他人に求めず、自分だけに基づく者は幸せに過ごす最善の方策を持つ。この者は節度を知り人間性に富み、賢い

 

 

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むかちん