むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記411 世界の偉大な思想家たち① ギリシア最大の哲学者であり、万学の祖~アリストテレス

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は世界の偉大な思想家たちシリーズの第一弾!!

 

ギリシア最大の哲学者にして、万学の祖と言われる哲学者

 

アリストテレス(紀元前384-紀元前322)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9

 

アリストテレスは紀元前384年に当時、マケドニア支配下にあったトラキア地方のスタゲイロスという町で誕生します。

 

紀元前367年、17歳ー18歳くらいのときに、アテナイの上り、プラトン主宰の学園、アカデメイアに入門します。

 

紀元前347年にプラトンが亡くなりますが、これと同時期にアリストテレスは学園を去ります。

この理由には諸説ありますが、当時はギリシアで反マケドニア派が勢いづいており、マケドニアと縁深い、いわば在留外国人のような立ち位置にいたアリストテレスが残っていにくい状況だったのではないか、と推察されています。

 

その後は学友ヘルミアスの招きに応じて、アッソスの街へと移り、ヘルミアスがペルシア帝国に捕縛されると難を逃れて、レスボス島に移住します。

ここでは主に生物学の研究に勤しんでいたそうです。

 

紀元前342年、当時、13歳であったマケドニアの王子、アレクサンドロスの師となり、弁論術、文学、科学、医学、そして哲学などを教えました。

 

紀元前336年にアレクサンドロスが大王に即位すると、翌紀元前335年にはアテナイに戻って郊外に学園「リュケイオン」を建設しました。

この学園の歩廊をそぞろ歩き(逍遥)していたことから、彼の学派は逍遥学派と呼ばれました。

 

基本的に現存しているアリストテレスの資料はアリストテレスが講義を聴きながら書いたもの、もしくは自分用の研究に記述したノートをのちの研究者がまとめたものなので、

アリストテレスの考えていたこととのちの理解が異なっている可能性は高いとされています。

 

また彼の哲学には現在では多くの間違いがあることがわかっていますが、

ヨーロッパ社会では長きにわたり彼は権威づけられ、崇拝の対象とされてきました。

これにより、悲劇をこうむったのがガリレオ・ガリレイです。

 

逆にこの絶対的権威が崩壊したときに、近代科学が発展していきました。

 

彼の思想は誤謬などがあったとはいえ、かなり幅広く、「万学の祖」と呼ばれるようになりました。

 

紀元前323年にアレクサンドロス大王が没すると、アレクサンドロス帝国は政情不安に陥り、マケドニアの支配力は大きく減退します。

これによりマケドニア人への迫害が起きたため、晩年は母方の故郷、エウボイア島に身を寄せ、その地で紀元前322年、62歳で死去します。

 

 

むかちん