むかちん歴史日記352 旅行でみかける歴史的建造物にまつわる人のヒストリー世界編② ローマに凱旋門を建造した~コンスタンティヌス1世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は旅行でみかける歴史的建造物にまつわる人のヒストリー世界編の第二弾!!
ローマに凱旋門を作った皇帝、
コンスタンティヌス1世(270年代前半ー337)
を紹介します(*^▽^*)
◆コンスタンティヌス1世は270年代前半に現在のセルビア界隈で誕生します。
彼が誕生したころは、ローマ帝国は政治的・軍事的な混乱期であり、軍人皇帝が次々と即位して並び立つ時代になっていました。
コンスタンティヌスがごく若いときに、これを統一したのがディオクレティアヌス帝で
彼は帝国を2名の正帝と2名の副帝で統治する四分統治(テトラルキア)体制を作り出しました。
この体制下でコンスタンティヌスの父、コンスタンティウスが西方の副帝として指名され、コンスタンティヌスは父が職務を全うするための人質として、ディオクレティアヌスの下へ送られます。
父が副帝になってから20年以上、父子が会うことはなかったそうです。
コンスタンティヌスはディオクレティアヌス帝に従って軍で実績を積んで、階級を上げていきます。
303年、即位20周年の儀式の際に東の正帝、ディオクレティアヌス帝が退位の意思を明らかにすると、西の正帝も退位することとなり、305年両者とも正式に退位します。
そして父コンスタンティウスが西の正帝となります。
父が306年に亡くなると、西の正帝はコンスタンティヌス含めて3名が並び立ち対立する状態となり、激しい内戦を繰り広げますが、312年にコンスタンティヌスが勝利を収め
ローマに入城、西の正帝として承認されます。
このとき建てられたのが有名なコンスタンティヌス帝の凱旋門です。
https://tabicoffret.com/article/72735/index.html
313年、もう一人、西の正帝を名乗るリキニウスとミラノで会談し、
キリスト教を公認することを取り決めます。
リキニウスはただちに東へいき、東の皇帝を退位させて、自ら即位します。
これがミラノ勅令です。
しかし、リキニウスがキリスト教迫害に転じると2人の関係は悪化し、
ついに衝突。
コンスタンティヌスが勝利して、ローマ全土でキリスト教が公認されることになります。
こうして、コンスタンティヌスはローマ帝国でただ一人の皇帝となるのです。
そして330年新都をビザンティオンに建設、コンスタンティノープルと命名します。
337年コンスタンティヌス1世が亡くなると、一族間で激しい争いは生じ、分裂の歴史へと歩みだすのです。
むかちん