むかちん歴史日記246 世界の最盛期の君主を巡るシリーズ① ローマ帝国を最大の領土にした〜トラヤヌス帝
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(〃^∇^)o_彡☆
今日は世界の最盛期の君主を巡るシリーズの第一弾!!
ローマ帝国の最盛期の領土を築いた皇帝
トラヤヌス帝(53-117)
を紹介します✨✨
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B9
◆トラヤヌスは53年にヒスパニア・バエティカ属州の植民市イタリカ(現在のアンダルシア地方あたり)に誕生します。
トラヤヌスは属州出身初の皇帝になる人物ですが、
血統的にはイタリア本土のルーツをもつ由緒ただしき家庭でした。
トラヤヌスは青年期を迎えると軍団に参加して、各地を転戦する日々を送ります。
主にフラウィウス朝時代にトラヤヌスは立身出世を果たして行きます。
ライン川防衛の指揮官であった上ゲルマニア属州総督ルキウス・アントニウス・サトゥルニヌス(英語版)が第14軍団ゲミナと第21軍団ラパクスを率いてドミティアヌスに対して反旗を翻すと、その鎮圧に功績をあげます。
96年にドミティアヌス暗殺によってフラウィウス朝が断絶すると、元老院の支持をまとめた古参貴族の元老院議員ネルウァが皇帝に即位します。
これはトラヤヌスが軍部の支持を集めており、
ネルウァが断りきれなかったことにあるとされています。
ネルウァが2年足らずで病没するとトラヤヌスに帝位がスムーズに移ります。
トラヤヌスは強権的であったドミティアヌスが暗殺されたのを受けて、
穏当な統治を心がけていたとされます。
ドミティアヌスにより不当に逮捕された人物を解放したり、
没収された領地を元に戻したりなど民衆の支持を意識した動きをします。
こうした統治は元老院からも絶賛され、
「オプティムス」(Optimus, 至高の)という名誉称号を与えられる一因となりました。
トラヤヌスの有名な功績として2度のダキア戦争の勝利があります。
過去にローマがダキア王国に敗退した経験があり、ダキアは勢いづいて、むしろローマの領土を侵略しようという状況にありました。
トラヤヌスはダキアに親征して、この決着をつけることを決めます。
勝利によってローマに凱旋したトラヤヌスは、元老院から「ダキクス・マキシムス」(Dacicus Maximus、最大のダキア征服者)の称号を与えられます。
しかし、105年、再びローマへ侵攻。トラヤヌスはダキアの首都を陥落させ、ダキアを属州にします。
トラヤヌスはこうして、ローマ帝国最大の領土を構築するのです。
さらに東方への拡張を目指し、メソポタミア方面に属州を設置して行きます。
その最中、117年に病没します。
むかちん