むかちん歴史日記247 世界の最盛期の君主を巡るシリーズ② ササン朝ペルシアの最盛期を築いた〜ホスロー1世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*´∀`*)
今日はササン朝ペルシアで最盛期を築いた皇帝、
ホスロー1世(?-579)
を紹介します(〃^∇^)o_彡☆
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◆生誕年などは不明でありますが、531年にササン朝ペルシアの第21代君主に即位します。
ホスロー1世は相次ぐ対外的な戦争により、国内が荒廃していたため、
この再建にすぐさま取り掛かり、土地台帳の作成による徴税の整備・強化や
バビロニア地方に大々的な運河の建設・修復、
ササン朝が東西を結ぶルートの要衝であるところにも彼は目をつけ、交易による繁栄をササン朝にもたらします。
また以前より社会不安を増長させた新興宗教であるマズダク朝を徹底的に弾圧し、根絶させます。
一方でホスロー1世自身はゾロアスター教徒でしたが、異教徒であるキリスト教徒には寛容な姿勢をみせ、国内の安定に努めました。
対外的には東ローマ帝国のユスティニアヌス1世と戦い、562年に同国を破って、
自国有利の和平条約を結ぶことに成功します。
北方民族のエフタルとも戦い、突厥(とっけつ)と共同して挟撃し、これを撃破、
さらにはバクトリア地方にまでその勢力を伸ばしていきます。
また570年にはイエメン地方にまで勢力を拡大します。
こうして、ササン朝の最盛期を築く君主となるのです。
◆一方でホスロー1世は非常に教養に秀でていたと言われ、
様々な国から書物、文芸品などを多く取り入れて、
イラン文化に東西文化を融合させたペルシア文化を構築します。
また東ローマ帝国から流出してきたギリシアの知識人を保護したり、
古代ギリシアの学術をペルシア語に翻訳してさせたります。
またホスロー1世時代ササン朝では金や銀、
ガラスでできた工芸品などが栄え、それらは欧州に出荷されたりなどします。
さらにホスロー1世は哲人王とも呼ばれ、
インドの哲学や科学、数学や医学に大きな関心を抱き、
インドの宮廷に大使団を送って、物品を何度も送り、
その代わりにインドからササン朝へ学者を派遣し、ペルシアで教授に当たるよう願い出ました。
この治世で、ギリシア語やサンスクリット語で記載されていた学術書が中世ペルシア語に翻訳され、
さらには古代ギリシアのプラトンの哲学にも関心を抱いたと言われています。
ホスロー1世は579年に亡くなります。
むかちん