むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記354 歴史的建造物にまつわる人のヒストリー世界編④ 紫禁城を改築し、宮殿として移り住んだ~永楽帝

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は歴史的建造物にまつわる人のヒストリー世界編の第4弾!!

 

元代に作られた紫禁城を改築し、宮殿として移りすんだ明の皇帝であり

明代の絶頂期を作り上げた

 

永楽帝(1360-1424)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

 

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参照元 https://www.y-history.net/appendix/wh0801-027.html

 

永楽帝は1360年、紅巾の乱で頭角を現した群雄で、明の初代皇帝洪武帝朱元璋)の四男として誕生します。

 

非常に有能な人物であったとされ、明に追い払われた元のモンゴル民族が、依然、北元として割拠していた時代に、永楽帝がこれをことごとく駆逐し、洪武帝は彼に大きな信頼を置いていたそうです。

 

1398年、洪武帝崩御に伴い、建文帝が即位します。

この当時、永楽帝は燕王であり、現在の北京周辺を統治してましたが、

のち建文帝と対立、靖難の変によって、反乱を起こし、建文帝から帝位をはく奪して、反乱に勝利、

 

1402年、自ら永楽帝として明の第三代皇帝となります。

 

1403年、国都を北平(現在の北京)に定めますが、実際に移ったのは1421年でした。

このときに1406年から改築を進めてきた紫禁城を完成させて移り住みます。

 

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参照元 https://www.fields-on-earth.com/blog/item/11493.html

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E7%A6%81%E5%9F%8E#/media/File:Gugun_panorama-2005-1.jpg

 

この紫禁城は中国のその後の歴史でもたびたび舞台となる場所で、

明を滅亡させた李自成によって焼失させられますが、清朝によって再建され、

清朝の皇帝もまたこちらに移り住みました。

 

また1911年の辛亥革命以降もラストエンペラーであった溥儀はこの紫禁城に居住することを認められていました。

 

現在ではルーブル美術館にならい、故宮博物院として、一般に開放されています。

また事件が起きた天安門などは、この紫禁城の城門の一つです。

 

この永楽帝は即位後、建文帝の存在そのものを消そうとします。

建文という元号を変え、そもそも存在しなかったこととし、建文帝に関する言動も取り締まります。

 

東廠と呼ばれる宦官の組織を作って諜報活動をさせ、恐怖政治を作り上げます。

これによって明代の皇帝による独裁体制の礎が形成されます。

 

また文化的には、勅撰書である『永楽大典』『四書大全』『五経大全』『性理大全』『歴代名臣奏議』を編纂させます。

 

また永楽帝は積極的に外征を行い、モンゴル、チベット、ヴェトナムなどへ遠征します。

さらに明の権威を世界に誇示するため、鄭和の大船団に南海の大航海を行わせ、明への朝貢貿易を促しました。

 

また日本の足利義満朝貢貿易を許したことでも知られ、義満は建文帝のころから交易をおこなっていましたが、引き続き永楽帝とも関係を継続しました。

 

永楽帝倭寇の取り締まりを義満に求めたため、義満もこれを厳しく取り締まり、永楽帝は義満を高く評価したとされています。

 

1424年、モンゴルへの遠征の帰路で没します。享年65歳。

 

 

むかちん