むかちん歴史日記441 世界の歴史小説の題材となった人物① 古代中国の名軍師~呂尚(太公望)
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は世界の歴史小説の題材となった人物シリーズ第一弾!!!
古代中国の名軍師にして殷を倒すことに命を懸けた
を紹介します。
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E5%B0%9A
参照元 https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%AA%E5%85%AC%E6%9C%9B%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E8%B0%B7-%E6%98%8C%E5%85%89/dp/4167259109
◆呂尚は歴史的には重要人物であるにも関わらず、出自と経歴は数々の伝説に包まれていてはっきりしない点が多いそうです。
呂尚はおおよそ紀元前1021年ごろに東シナ海のほとりで誕生し、祖先は治水事業で伝説と言われる王朝、夏の皇帝の補佐をしていたとされます。
彼は周に仕える以前は、殷の帝辛に仕えていましたが、彼が無道であることを批判して離れ、各地で遊説するも受け入れられず、西方の周に身を寄せ、のちの文王に仕えます。
言い伝えでは、文王と呂尚の出会いは
狩猟に出る前に文王は占いをすると獲物ではなく人材を得るという結果が出て、
猟に繰り出してみると、渭水で釣りをしている呂尚と出会いました。
そこで2人は語り合って、文王は呂尚を「わが太公(文王の祖父にあたる)が待ち望んでいた人物である」と感じ、彼を周の軍師として迎え入れ、「太公望」と号しました。
また周の軍師として、文王の子でのちの武王を補佐し、殷からの侵攻を打ち破り、斉の地を与えられます。そして殷を滅ぼします。
斉の中心地、営丘に赴任後、呂尚はその地の住民の習俗に従い、また営丘は農業には適さない土地だったので、漁業と製塩によって、斉の国力を向上させました。
このときに別れた妻がよりを戻そうと言い寄ってきたそうですが、これを断り、このエピソードが「覆水盆に返らず」の元となっているそうです。
呂尚は100歳以上まで長生きしたとされています。
彼の影響力はその死後も大きく、春秋戦国時代初期の斉では、呂尚は神格化されていたと言われています。
むかちん