むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記440 日本を支えた経営者・実業家⑤ 日本のエジソンと呼ばれたシャープ創業者~早川徳次

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は日本を支えた経営者・実業家シリーズの第5弾!!

 

日本のエジソンと呼ばれるほど、様々な商品を開発し、

シャープを創業した

 

早川徳次(1893-1980)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

参照元 https://corporate.jp.sharp/corporate/info/history/

 

早川徳次1893年、現在の東京都中央区日本橋でちゃぶ台の製造販売業を営む両親の下に三男として誕生します。

早川家は副業のミシン縫製業で繁盛をしていたが、母が胸を患ったため、早川家に出入りしていた肥料屋の出野家へ養子へ出されます。

 

しかし、養母が亡くなると、後妻としてきた新たな養母は早川に厳しく当たり、食事も満足に与えられる状況になく、尋常小学校も2年で退学させられ、朝から晩まで働かされる過酷な日々が続きました。

 

これを不憫に思った近所の盲目の婦人は、1901年早川を錺屋職人の下へ丁稚奉公させ、そこで早川は金属加工の技術を習得していくことになります。

そして、主人は昔気質の職人肌だったので、仕事にはとても厳しい一方で情にはとても厚く、人情もここで学んだと言われます。

 

1909年、7年7か月の年季奉公とその後1年間のお礼奉公も終え、早川は錺職人となります。

 

1912年、ベルトに穴を開けずに使える「徳尾錠」を開発、大量受注できたのを機に独立開業を果たします。

しかし、このヒットを一過性のものと捉えた早川は次に「水道自在器」などを開発、こちらもヒットし、作業の効率化を目指して高額な設備投資も行います。

 

独立に前後して自身の出生に関して、養子に出されたことなどを初めて知り、実の兄弟との再会も果たします。

兄の政治が扱っていた雑貨から、徳次は金属文具に着目して万年筆の付属金具のクリップや金輪の製造を手掛けるようになり、取引先も拡大していくなかで、繰出鉛筆の内部部品製造が早川にとって大きな転機となります。

 

繰出鉛筆はいわゆるシャープペンシルの原型のようなものですが、

当時のものはセルロイド製で非常に壊れやすい代物でした。

 

これに創意工夫を加えて、金属製で実用性の高いものにしたのが早川でした。

兄とともに「早川兄弟(けいてい)商会金属文具製作所」を設立して売り出しました。

 

しかし当時の日本では和服に合わない、金属製は冷たく見えるなどの理由で敬遠されましたが、第一次世界大戦で品薄となった欧米でヒット、その評判によって、日本でも売れるようになります。

 

このときに「早川」姓に復籍し、このペンは「早川式繰出鉛筆」とよばれました。

のちにこれは名称も「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」に改められ、これが、後の社名「シャープ」の由来となりました。

 

順風満帆で200人の従業員を抱えるまでになりますが、1923年に関東大震災が発生。

子どもも妻も失った早川にさらに追い打ちをかけたのが、取引先からの借金返済要求でした。

結果、会社を解散して、事業・設備などを取引先に譲渡しますが、早川や残った従業員たちは技術指導のため、譲渡先の大阪へ行くこととなりました。

まさに身一つで大阪へと向かったのです。

 

9か月にわたる技術指導を終え、譲渡先を退社、早川は大阪で再起をかけて、

1924年9月1日、「早川金属工業研究所」の看板を掲げました。

 

文具製品製造が主でしたが、翌1925年からラジオ放送が開始されるという記事を見た早川はこれにいち早く目をつけ、鉱石ラジオを1台購入。

 

これを解体して、その構造を確かめ、なんと自分たちで鉱石ラジオを作り上げることに成功するのです。

そして鉱石ラジオを海外製品の半値以下で販売し、大ヒットします。

ここに「SHARP」というブランドが刻まれたのです。

 

そして国内の販売拠点を全国へ拡大していき、1926年には輸出も開始します。

 

太平洋戦争終結後は、物不足などで、経営困難な状況が続き、1950年には大きな赤字を出して倒産の危機を迎えますが、希望退職者を募って、なんとかここを乗り切ります。

 

朝鮮特需でなんとか乗り切りますが、多角的な経営が必要と判断し、テレビや電卓を扱う総合家電メーカーへと舵を切ります。

 

1953年にテレビの販売を開始、1962年には国産第一号の電子レンジを販売。

1964年には世界初のオールトランジスタ方式の電子式卓上計算機を発売します。

 

1970年、早川電機工業株式会社から「シャープ株式会社」へ社名を変更、同年会長も退きます。

 

そして1980年死去。享年86歳でした。

 

◆名言

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どうしてもやろうという

熱意があったら

なんでも出来る。

 

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教わって覚えたものは浅いけれど、

自分で苦しんで考えたことは、

深いんですよ。

 

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事業経営は不況のときに

伸びよといわれている。


それは不景気のときに屈することなく、

次に来る好機に伸びていく

準備をすることだと思う。

 

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私は嘘をつかないこと、

他人様に迷惑をかけないことを主義としている。


また世間と多くの人たちから

有形無形の恩恵を受けて生活していることに対する

大きな感謝と同時にそのお返しを念願としている。

 

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良いアイデアの生まれるのは、

儲からなくて何とかしようと

苦しんでいるときである。


だから私は、

儲かることをあまり喜んでいない。

 

 

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むかちん