むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記509 世界四大文明⑧ 中国文明~黄河と長江

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)

 

今日は世界四大文明の最後、

 

中国文明

 

を紹介します(*^▽^*)

 

黄河流域 長江上流域 長江中流 長江下流
紀元前8000年以前     玉蟾岩遺跡 仙人洞・呂桶環遺跡    
7000
|
6000
    彭頭山文化      
6000
|
5000
    湯家崗文化 城背渓文化    
5000
|
4000
仰韶文化     馬家浜文化 河姆渡文化
4000
|
3000
  大渓文化 崧沢文化
  良渚文化
3000
|
2000
竜山文化 宝墩遺跡(龍馬古城) 屈家嶺文化
三星堆遺跡 石家河文化
2000
|
1000
二里頭文化(夏?) 馬橋文化  
二里頭文化    
二里岡文化(殷遷都前) 二里岡文化    
殷遷都後 呉城文化 湖熟文化  
 
1000以降 巴蜀  
呉越

参照元 https://sekainorekisi.com/glossary/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%96%87%E6%98%8E/

 

中国文明って・・・

中国文明」という言い方に何やら聞きなれなさを感じる人いませんか・・??

そう、僕も含めて、ひと昔前の皆さんは学校で「黄河文明」と教わるのです・・・

 

が、しかし・・・!

1970年代以降の研究では長江の流域でも古い稲作文明の報告が上がるようになり、

黄河文明のみならず、長江文明の存在も確認されることから「中国文明」という言い方のほうが現在はポピュラーになってきています(*^▽^*)

 

参照元 http://www.koharu-home.jp/new2017/oct2017/michiko/newpage1.html

 

◆文明の興り

黄河や長江の流域では農業などの原始的な文明が紀元前4000年〜紀元前3000年ごろから始まり、土器なども製作していました。

 

紀元前3000年から紀元前2000年ごろになると、黄河と長江を含む幅広い地域で竜山文化が興り、それぞれの地域で支配者層は権力を持ち始めました。

 

黄河文明

黄河流域には黄土によって肥沃な土壌が広がっていました。

前期を仰韶文化、後期を竜山文化と称します。

 

彩陶と呼ばれる土器を利用しました。

 

黄河下流で発見された竜山文化の遺跡は、紀元前3000年から紀元前2000年くらいのもので、城壁のある集落の跡地であり、殷の前身となるものだと考えられています。

 

長江文明

黄河流域とほぼ同時代に都市文明を形成していたことが判明しています。

水稲栽培もおこなっており、日本に伝わった稲作もこの長江から福建・台湾・沖縄経由で伝来したものではと考えられています。

 

大規模な集落の中からは神殿や祭壇なども発見されていて、貴族・戦士と奴隷の階層に分かれていたことも見て取れます。

 

良質な玉器が発見されたのも中国では初めての出来事です。

 

むかちん