むかちん歴史日記476 ルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王① 古代エジプト18王朝の王~アメンホテプ4世
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王シリーズの第一弾!!!
古代エジプト18王朝の王、
アメンホテプ4世(紀元前1362?-紀元前1333?)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%974%E4%B8%96
◆アメンホテプ4世は紀元前1362年ごろに父アメンホテプ3世、母は正妃のティイの下に誕生します。
紀元前1350年に12歳で父から王位を継承し、
紀元前1346年ごろからアマルナ革命と呼ばれる大規模な改革を断行していきます。
これは国の宗教として唯一神アテンを掲げ、多神教を禁止しました。
さらに王朝発祥の地、テーベを放棄して、新都アケトアテン(現アマルナ)へ遷都してしまいます。
エジプトの神様と言えば、太陽神ラーやオシリス神などが有名ですが、
テーベの守護神として祀られていたアメン神がその中でも最も有力でした。
エジプトは当時、西アジアの征服活動が盛んであったため、その加護をつかさどるアメン神が強く信仰されるようになります。
そしてアメン神をつかさどる神殿には戦利品や貢物が集まるようになり、そこで力を強めていったのが、アメン神に仕える神官たちでした。
アメンホテプ4世はこの状況をみて王権を神官たちに奪われる危機感を感じ、
アテン神を唯一の神として祀るようにさせ、それ以外の神の像は破壊したのです。
しかし、実際のところ、アテン神というのは一地方のマイナーな神であったため、
多くの民衆はそれをすぐに唯一神として受け入れるのは難しかったので、
アテン神から教えを受けている自らを神として国民に崇拝させたのです。
しかし、これに反発する民衆は多く、改革は失敗してしまったといえます。
そして紀元前1336年、失意のうちに退位することとなります。
彼ののちに王となるのがかの有名なツタンカーメンで、彼の時代には多神教へと戻っていきます。
アメンホテプ4世の墓とされるものはテーベにありますが、おそらく彼の反対勢力によってレリーフは一切削られています。
むかちん