むかちん歴史日記477 ルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王② ローマ初代皇帝~アウグストゥス(オクタヴィアヌス)
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王シリーズの第二弾!!!
権力闘争を勝ち抜き、ローマ帝国初代皇帝となった
アウグストゥス(紀元前63年-紀元後14年)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 http://forumpacis.jugem.jp/?eid=53
◆オクタヴィアヌスは紀元前63年に騎士階級の家庭に生まれ、母親はカエサルの姪にあたります。
紀元前47年、神祇官に任命され、紀元前46年には大叔父カエサルの建造したウェヌス神殿を記念して、ギリシアの古代オリンピックに参加させられます。
紀元前44年に叔父のカエサルが暗殺されます。
そしてカエサルがオクタヴィアヌスを後継者に指名したことにより一躍有名となります。
カエサルの遺志であるパルティア遠征を引き継いで、戦争を遂行するため、公的資金を要求して、軍を編成したとされますが、この軍の編成の実情は、アントニウスを中心とする反オクタヴィアヌス派に対抗するためと言われています。
カエサルの遺志を継いだパルティア遠征をちらつかせることによって、オクタヴィアヌスは支持を集め、勢力を拡大していきました。
紀元前44年にオクタヴィアヌスはローマへ帰還し、カエサルの葬儀を執り行いました。
カエサルの財産の4分の3を相続するはずだったオクタヴィアヌスですが、アントニウスがこれを着服し、オクタヴィアヌスに渡すことを拒否しました。
しかし、アントニウスと対立していた雄弁家キケロとオクタヴィアヌスは接近し、アントニウスを論難し、次第にアントニウスは元老院で孤立していきます。
これにアントニウスも対抗、レピドゥスと手を組んで、元老院派と対立し、オクタヴィアヌスと妥協を模索していきます。
紀元前43年、ボローニャにおいて、オクタヴィアヌス・アントニウス・レピドゥスの第二回三頭政治が成立します。
この三頭政治では元老院派が粛清され、元老院派と目された元老院議員約300人、騎士身分約2,000人が殺害、財産が没収されたと言われています。
アントニウスはのちにエジプトへ赴き、カエサルの愛人であったクレオパトラと出会います。
アントニウスはパルティア遠征をおこなうも惨敗に終わりましたが、クレオパトラには彼の軍を再編するだけの財力がありました。
そこで彼は公然と妻であり、オクタヴィアヌスの姉であるオクタウィアと一方的に離縁、クレオパトラを妻としてしまいます。
これはオクタヴィアヌスにとってはアントニウスを攻撃する格好の材料となりました。
そして、オクタヴィアヌスとアントニウスの最終決戦が紀元前31年のアクティウムの海戦です。
アントニウスはクレオパトラと手を結び、オクタヴィアヌスと戦いますが、オクタヴィアヌスの勝利に終わり、アントニウスとクレオパトラは自害します。
オクタヴィアヌスはこれにより、ローマの全権を掌握し、元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を贈られます。
そして帝政ローマの初代皇帝として君臨します。
内乱の一世紀に終止符を打ち、「パクスロマーナ(ローマの平和)」を実現しました。
紀元前14年に胃腸を患い、76歳で死去します。
むかちん