むかちん歴史日記356 ランチタイムに教えたい歴史上の暴君たち① ローマの代表的暴君~ネロ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はランチタイムに教えたい歴史上の暴君たちの第一弾!!
ローマ帝国で最も有名な暴君として名高い
ネロ(37-68)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AD
◆ネロは、37年にローマで誕生しますが、40年には父が亡くなり、母と妹はカリグラによって追放の憂き目に遭った上に、父の遺産はカリグラに没収され、ネロは叔母のところで育てられました。
しかし、その3年後にカリグラが暗殺され、伯父のクラウディナスが第4代皇帝になると母と妹はローマの戻ることを許可されます。
その後、母の計略によりネロはクラウディウスの養子となります。
もともとクラウディウスにはブリタンニクスという後継者候補がいたが
ネロの存在が次第に大きくなり、54年、クラウディウスが死去するとネロが皇帝に即位します。
ネロの治世初期は哲学者セネカなどの補佐もありましたが、
次第にネロと母アグリッピナとの間に緊張関係が生まれます。
母の干渉を疎ましく思うようになり、
ネロの離婚・再婚問題で口出しをしてきたところで59年に母アグリッピナを殺害、
離婚した妻も不倫の罪で自殺させられます。
彼は元老院においてもその暴君ぶりを発揮し、62年に宴席でネロの悪口を言った法務官職を処刑、65年には補佐であったセネカも殺害し、
さらには64年のローマ大火の犯人はキリスト教徒だとして迫害、これが後世に暴君と伝えられるきっかけになります。
この迫害によって、初代ローマ教皇のペトロは殉教します。
他方でネロは芸術の愛好家としても知られ、自身で「ネロ祭」を開催した際には
竪琴を披露しました。
68年にガリア・ルグドゥネンシスの属州総督が反乱を起こします。
これは鎮圧されますが、のちに穀物価格が高騰しているローマで、エジプトから来ている穀物食料船に食料ではなく、宮廷格闘士用の闘技場の砂が運ばれているということが報じられ、ネロは市民の反感を買います。
元老院はネロを「国家の敵」と認定し、ネロは逃亡、最後は自害します。
ネロの死によって五代続いたユリウス・クラウディウス朝は断絶し、
軍事による権力闘争で帝位をとるローマ内戦の時代へと突入していくのです。
むかちん