むかちん歴史日記478 ルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王③ 長城を建設したローマの五賢帝~ハドリアヌス
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)
今日は、ルーヴル美術館所蔵の皇帝・国王シリーズの第三弾!!!
長城を建設したローマの五賢帝
ハドリアヌス(76-138)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 http://forumpacis.jugem.jp/?eid=51
◆ハドリアヌスは76年に生まれ、トラヤヌスの従兄弟の子どもにあたります。
93年もしくは94年に、二十人委員の職について、属州の高級軍団将校を務め、101年には元首財務官に就任してトラヤヌス帝の秘書を務めます。
114年に勃発したパルティア戦争では、軍団の司令官に任命され、トラヤヌスの補佐役として優れた手腕を発揮します。
トラヤヌス帝は死の床で、ハドリアヌスを養子とし、トラヤヌスが逝去すると、ハドリアヌスは皇帝となりました。
トラヤヌスは、ローマ帝国最大の版図を築いた皇帝として有名ですが、生前に東部に接するパルティアとの紛争は解決しておらず、東部の安定がハドリアヌスの喫緊の課題でした。
ハドリアヌスは外交政策を攻勢から守勢へと転じ、国境付近に防壁を構築し、中でも有名なのが、カレドニア人との紛争が続いていたブリタンニア北部に「ハドリアヌスの長城」として知られる防壁です。
参照元 https://tokuhain.arukikata.co.jp/glasgow/2009/06/post_63.html
ハドリアヌスはとにかく帝国内の平和安定化に注力し、パルティアとの紛争を収拾すると属州とイタリアとの一体化に傾注し、各地に巡察旅行にも出かけました。
ハドリアヌスは国内外で目覚ましい成果を収めていたものの、元老院の中ではよしとしないものが多かったのも事実です。
ハドリアヌスは防衛に必要な兵力や維持費等の負担増に耐え切れないと判断して、メソポタミア、アッシリア、アルメニアから撤退するという現実路線に切り換えましたが、元老院の中にはこれらの領土拡張に貢献していた者も多かったからです。
従い、ハドリアヌスの死後、他の皇帝と共に神格化することに反対する者もあらわれましたが、次代のアントニヌス・ピウスがなんとか説得し、了承を得たとされています。
ハドリアヌスは138年に別荘で62歳で逝去します。
むかちん