むかちん歴史日記466 歴史の名軍師① アルプス越えを果たしたカルタゴの名智将~ハンニバル
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は歴史の名軍師シリーズの第一弾!!!
カルタゴの名智将として、最強の帝国、ローマを苦戦させた
ハンニバル(紀元前247-紀元前183?)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://www.sekainorekisi.com/glossary/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB/
◆ハンニバルは紀元前247年、カルタゴ(現在のチュニジア)に誕生します。
彼が生まれた時期はローマとカルタゴの戦争である第一次ポエニ戦争の末期でした。
ハンニバルの父はハンニバルが20歳のときに亡くなったため、義理の兄の下に身を寄せるようになりますが、その兄も紀元前221年に暗殺されてしまうため、弱冠26歳にして、後継者となりました。
彼はイベリア半島戦線の指揮を取り、ローマの同盟都市サグントゥムを陥落させます。
これが第二次ポエニ戦争の始まりです。
ハンニバルはローマを徹底的にたたくため、イタリア本土を直接攻撃しようと考えましたが、地中海の制海権はローマが握っており、またローマはカルタゴの侵入を恐れて南部の守りを固めていました。
そこでハンニバルが考えた奇策がアルプス山脈を越えて、北方から侵攻しようというものでした。
いわゆる「ハンニバルのアルプス越え」です。
実はこのアルプス越えの詳細なルートというのは、現在も歴史家の間で見解が分かれているところではありますが、大まかに言うと、南の海ルートではなく、北をぐるっと回って山ルートで北方から侵入するというものでした。
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9%E8%B6%8A%E3%81%88#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hannibal_route_of_invasion-en.svg
兵士4万名、象30頭を率いて、アルプス越えをしたとされますが、イタリアに到着したときには兵士2万6千名、象3頭にまで減っていました。
ローマとしてはよもや北から攻めてくるとは思わなかったので、次々とローマ軍を撃破、ハンニバルは北イタリアに勢力基盤を築くのです。
そして南下を開始して次々に勝利を挙げ、同時にローマの同盟都市に離反していくよう仕掛けます。
しかし、ローマの名将、スキピオにより、ハンニバルは膠着状態に陥り、その間にカルタゴ本土にスキピオが攻め入り、ハンニバルはカルタゴへ呼び戻されます。
ハンニバルは休戦を提案しましたが、スキピオはこれを拒否し、ザマの戦いで、カルタゴの敗戦が決まります。
戦後、彼はカルタゴの先頭にたって、復興を図り、不可能と思われた賠償金も完済。
これにローマは戦々恐々としたと同時にカルタゴ国内でも彼の強引な改革に反対し、ハンニバルはシリアへ亡命します。
シリアの参謀としてローマと戦うも、彼の意見は反映されずに敗北。
最期は逃亡の末に追い詰められ、自害します。
紀元前183年ごろと言われています。
むかちん