むかちんの歴史日記

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むかちん歴史日記404 中国の歴史的勇士達④ 三国志・蜀の忠義の武将~関羽

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、中国の歴史的勇士達シリーズの第4弾!!!

 

三国志でも有名な蜀の武将にして、忠義に厚いことで敵からも尊敬される男

 

関羽(生年不詳ー220年)

 

を紹介します。

 

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%BE%BD

 

関羽は、現在の中国山西省に生まれ、その後、張角が指導した農民反乱である黄巾の乱が起こると、そこに義勇兵を挙げた劉備張飛と出会い、劉備の護衛官を務めることになります。

 

劉備関羽張飛に対して兄弟のように恩愛をかけたと言われています。

 

徐州を得た劉備は、呂布と争い、曹操を頼って逃亡します。

198年に曹操呂布を破った際、関羽張飛とともに武功を認められ、中郎将に任じられます。

 

しかし、199年、劉備曹操を裏切り、徐州を占拠。

200年に曹操の攻撃を受け、敗れ、袁紹の下に逃れます。

これによって、関羽曹操の捕虜となりますが、曹操関羽を偏将軍に任命し、礼遇します。

 

曹操関羽袁紹の下にいる顔良将軍の討伐を命じると、関羽はこれを見事に討ち取り、首を差し出しました。

曹操自身も悟っていたことではありましたが、関羽はずっと曹操のところにいるつもりはなく、劉備の下に仕え続けるということを決めていましたが、

 

関羽は忠義や恩義に厚い人物でしたので、曹操に一度助けられた恩義を返すべく、顔良の首を取ったのです。

これには曹操はとても感心したといいます。

 

208年、劉備諸葛亮三顧の礼で迎え入れたが、これには関羽張飛も不満があったと言います。

しかし、劉備関羽に対し、「自分と諸葛亮との関係は、魚が水を欲するようなものである(水魚の交わり)」と述べ、これをいさめました。

 

218年、曹操の配下であった候音が関羽と通じて、曹操に対して反乱を起こしますが、これは鎮圧されます。

 

関羽は最終的には、自身が軽視していた配下に裏切られ、呉の孫権に寝返ったこと、

また孫権の息子の嫁に、関羽の娘を、という提案に対し、使いを罵倒して婚姻を認めなかったことで、孫権の怒りを買い、謀略をめぐらされたことがあり、

 

また関羽の部下を捕虜にしてわざと厚遇し、その情報を流すことで、関羽軍に戦意を失わせ、彼の軍は四散しました。

 

結局、関羽孫権に捕らえられ、斬首となります。

 

義に厚い関羽ではありましたが、最後は油断と驕りによって命を落とすことになるのです。

 

むかちん