むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記405 中国の歴史的勇士達⑤ 救国の英雄と言われる宋の武将~岳飛

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は中国の歴史的勇士達シリーズの第5弾!!!

 

救国の英雄と言われる宋の武将

 

岳飛(1103-1142)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B3%E9%A3%9B

 

岳飛は1103年河南省で誕生し、もともとは豪農の出身でしたが、幼くして父を亡くしたため、生母に育てられました。

 

この生母に若い時、「尽忠報国」(じんちゅうほうこく)という四文字の入れ墨を刻まれました。

これは「忠義を尽くし、国の恩に報いる」という意味で、父の教えを忘れないようにという母のものすごい執念の現れでした。

 

21歳のとき、北宋末期の1122年に開封を防衛していた宗沢が集めた義勇軍に参加して、その優れた武勇により武功を挙げ、1134年には節度使に任命されます。

 

当時、北方には女真族の金がおり、宋はこれと対峙しておりました。

というより、宋はいつも負けっぱなしだったのです。

 

岳飛はその義勇軍で金と6度戦い、すべて勝利を収めるという快挙を成し遂げました。

皇帝から「精忠岳飛」という軍旗を授かるほど、彼の名声は上がっていました。

 

しかし、その名声を快く思わなかったのが宋の秦檜という官僚でした。

岳飛を疎んじて、無実の罪で彼を投獄してしまうのです。

 

そして、最終的には秦檜は彼を処刑してしまいます。

 

岳飛はのちに冤罪が証明され、秦檜もそのときには亡くなっていましたが、

秦檜らが正座している像が作られ、そこに唾をかけるという風習が起こりました。

(現在では当局によって禁止されている)

 

これは岳飛の英雄的人気を裏付けると同時に彼の悲劇的な死を哀れんだものでした。

中国の歴史では今でも彼を救国の英雄と称しています。

 

むかちん