むかちん歴史日記288 ランチで聞きたい経営者伝③ 財界の鞍馬天狗と呼ばれた男~中山素平
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はランチで聞きたい経営者伝の第3弾!!!
財界の鞍馬天狗とよばれ、多くの企業の誕生の立役者
中山素平(1906-2005)
を紹介します。
https://www.mizuho-fg.co.jp/saiyou/company/history/dna/index.html
中山素平は1906年、東京で生まれます。
1929年に東京商科大学(現一橋大学)を卒業、同年に日本興業銀行に入行します。
本店で経理課、預金課などを経て、人事部長のときの1945年に終戦を迎え、
興銀は連合国総司令部(GHQ)の指令によって廃止の危機に直面します。
これは、各企業が直接金融市場で資金を調達するという米国型の資本主義社会への転換を図ろうとしたGHQが戦前からの産業金融を担う興銀の廃止を推進しようとしたものでありましたが
当時、戦争によって、基幹産業に大きな打撃を受けていた日本としては、直接金融市場の成長を待つ余裕はなく
ここで興銀が廃止されれば、日本の復興は遅れるという思いがあった中山はGHQと粘り強く交渉し、
興銀の存続を認めさせることに成功します。
様々な産業の支援を行いますが、
特に有名なのは、川崎製鉄(現JFEスチール)が千葉に銑鋼一貫工場を建設する計画を提出した際に
金融引き締め政策に逆行する巨額投資に憤慨した日本銀行の一万田尚登総裁が「製鉄所にペンペン草をはやしてやる」とまで言い放って反対しましたが、
中山は製造工程に対して工場のレイアウトが非常に合理的であるなどの理由から、この反対を押し切り、融資を決定、製鉄所実現に尽力します。
1961年には頭取に就任。
その後1966年の日産自動車とプリンス自動車の合併、1970年の富士製鉄と八幡製鉄の超大型合併による新日本製鉄の誕生にも尽力します。
銀行家として、産業界の再編強化事案に数多く参画したことから「財界の鞍馬天狗」と呼ばれるようになりました。
中曽根康弘政権の国鉄分割民営化に反対した田中角栄の説得など政界にも財界側から大きな影響を与えました。
中山は2005年、99歳で亡くなります。
◆名言
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問題は、
解決されるためにある。
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本当の友人というのは
相手が然るべき地位にあるのを
利用するのではなく、
その人に自分が
どれだけ尽くせるかで決まる。
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私利私欲の人、自己顕示の人は
全然評価しない。
大きなスケールでものを考える人は、
右であれ、左であれ、共感を覚える。
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むかちん