むかちん歴史日記176 短い生涯を強く生きてきた偉人シリーズ① 浅井家の全盛期を築いた武将~浅井長政
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は「短い生涯を強く生きてきた偉人シリーズ」ということで、
第一弾は戦国武将にして、織田信長に敗れた
浅井長政(1545-1573)
を紹介します(≧▽≦)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E4%BA%95%E9%95%B7%E6%94%BF
◆浅井長政の幼少期は、浅井家初代当主、浅井亮政の代に手に入れた領地もその息子久政(長政の父)の代で六角氏との合戦に敗れ、失っている状況であり、
六角氏に臣従関係を結ばされていました。
久政は六角氏との外交に力を入れて、なんとかわずかな領地を保っていた状況ではありましたが、この弱腰な状況に不満を持つ家臣も多くいたようです。
15歳で長政が元服しますが、六角氏との臣従関係は続いておりました。
この状況に不満を抱く家臣たちは久政に隠居を強いて、長政は半ば強奪のかたちで、家督を継ぎます。
しかし長政は15歳にして軍を率いて、野良田の戦いで六角軍相手に見事な戦いを見せ、家臣を心酔させたといわれています。
1560年代には織田信長と同盟を結びます。
同盟に際して、織田家、浅井家で政略結婚を行い、長政は信長の妹、市を妻に迎えます。
しかし、父久政が関係を大事にしていた朝倉義景を織田が何も言わずに攻めると事態は一変します。
もともとこの同盟には朝倉義景を攻めないという約束があったからです。
長政は織田・徳川連合を急襲します。
長政は朝倉義景・武田信玄と同盟を組み、織田・徳川勢と戦います。
善戦をし、武田軍などは打ち破って進軍していきましたが、武田信玄の急死により甲斐へ退却してしまいます。
◆信長は1573年3万の軍を率いて、北近江を攻め寄せます。
長政は朝倉義景に援軍を要請し、義景は2万の兵を出しますが、
浅井家内に織田へ寝返ったものも多く、救援は不可能と判断して戻りますが
織田はそれを追撃、ついに朝倉を滅亡させます。
その後、浅井も織田軍に囲まれ、父浅井久政が自害、
長政も織田からの再三の降伏勧告を拒否し続け、自害します。
享年29歳。
ーーーーー
むかちん