むかちん歴史日記177 短い生涯を強く生きてきた偉人シリーズ② 薄命の小説家~樋口一葉
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は短い生涯を強く生きてきた偉人シリーズの第二弾!小説家
樋口一葉(1872-1896)
を紹介します(*'▽')
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%91%89
◆1872年、東京の中流家庭に生まれた一葉(本名は奈津)は、幼少時代から読書を好み、7歳にして、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を読破したそうです。
一葉の父、則義は一葉の文才を見抜き、和歌を習わせたりします。
則義の知人の紹介で1886年、中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門し、ここで和歌のほかに古典文学なども学びます。
しかしこの歌塾は令嬢が通うような塾で、一葉は士族とはいえ、農民の出身であったため、内向的になっていたが、そういった状態をはねのけて、通い続けます。
父則義、兄泉太郎が亡くなったのもあり、17歳にして戸主となった一葉であったが、生活は苦しい状況でした。
一葉は萩の舎の内弟子として中島家に住み、塾の手伝い料で生活をまかなっていました。
彼女は針仕事などをとても蔑視していて、なんとか他で稼ぎたいという思いがあったのでですが、姉弟子が小説を書いていたことから、彼女も小説を書き始めます。
1891年(明治24年)、数え年20歳で「かれ尾花一もと」を執筆します。
次第に互いに恋愛感情を抱くようになります。
しかし、当時は結婚を前提としない恋愛というのはご法度のご時世で、
一葉は中島歌子の指示で、桃水と縁を切ることになります。
1894年12月「大つごもり」を「文学界」に寄稿。
1895年1月から「たけくらべ」を7回にわたり寄稿、同年、「にごりえ」「十三夜」「裏紫」などを発表し、「大つごもり」から「裏紫」までの期間を「奇跡の14か月」といいました。
一葉の「たけくらべ」はその翌年に幸田露伴や森鴎外から絶賛されます。
しかし、彼女の肺結核は進行しており、当時は不治の病でした。
一葉は1896年、24歳でこの世を去ります。
◆名言
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分けのぼる道はよしかはるとも、終には我も人もひとしかるべし。
→のぼっていく道のりはたとえ違っても、最後にたどりつくところは、自分も人も同じだろう。
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利欲にはしれる浮き世の人あさましく、厭わしく、これゆえにかく狂えるかと見れば、金銀はほとんど塵芥の様にぞ覚えし。
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行水にも淵瀬あり、人の世に窮達なからめやは
→水の流れる川にも淵があり、瀬がある。
人生にも苦しいときと良いときがあるだろう。
悪いことばかりではないはず。
元気を出して頑張ろう。
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むかちん