むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記214 九州が生んだ偉人シリーズ④ 福岡が生んだ名選手~仰木彬

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、九州が生んだ偉人シリーズの第3弾!!!

西鉄ライオンズを牽引した二塁手

 

仰木彬(1935-2005)

 

を紹介します(≧▽≦)

 

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参照元 

https://books.bunshun.jp/articles/-/1859

 

◆仰木は1935年に教師の両親の下に生まれますが

1944年、父が戦死、妹2人も病気で亡くしたため、

仰木は中学卒業後、工業高校に進学し、八幡製鉄で働いて母を安心させたいと思っていましたが、

中学野球での活躍を見た東筑高校のOBが仰木を説得し、同校に進学します。

 

高校卒業を前に、南海ホークス中日ドラゴンズ西鉄ライオンズの3球団から誘われ、南海に憧れていたのもあり、南海に入団を考えていましたが、

 

西鉄の監督、三原脩が仰木の自宅に訪れ、「私に任せなさい」と肩を叩かれたことに運命を感じ、

当時、3球団で最も年俸が低かったものの、仰木は1954年西鉄に入団します。

投手として入団したものの、三原監督から二塁手へのコンバートを命じられます。

 

チャンスメーカーやつなぎ役、そして堅実な守備で西鉄の黄金時代を築きます。

1960年にベストナインに選出、1961年にオールスターに出場。

1967年に現役を引退します。

 

1970年に三原脩が監督を務める近鉄の守備走塁コーチに就任。

1987年には近鉄の監督に就任します。

1989年には激しい優勝争いを繰り広げた末に2位のオリックスとわずか1厘差で

チームを9年ぶりの優勝へと導きます。

1992年に監督を勇退。仰木が近鉄の監督時代に野茂英雄赤堀元之などを育成しました。

 

1994年から仰木はオリックスの監督に就任。

当時2軍のイチローを大抜擢して開花させ、田口壮を外野手に起用して成功させるなど

才能を次々に開花させ、遂に1995年にはオリックスとして初めてのリーグ優勝に導きます。

翌1996年もリーグ優勝を果たし、そしてついに日本シリーズ読売ジャイアンツを下し、監督として初の日本シリーズ制覇を果たします。

 

2004年には野球殿堂入りを果たし、2005年には自身が監督を務めたオリックス近鉄が合併したオリックスバッファローズの監督に就任。

しかし、このころにはすでに肺がんに侵されていました。

 

2005年、仰木は70歳で死去します。

同じ年でプロ入りした野村克也は仰木の死を悼みました。

また、仰木を師を仰ぐ選手は多く、特にイチローは仰木に見いだされて活躍した選手なので「唯一人の師匠です」と公言するほどの存在でした。

 

◆名言

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自分が一流になれなかったのは、若い時に遊びすぎたからだ。あとから気づいても遅いんだぞ。オレが悪い見本や

 

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君たちは勝ち負けを一切気にしなくていい。勝ち負けは俺の責任だ。その代わり、試合に出たら自分のベストを尽くせ。俺は良い結果を出した選手は必ず使う。結果を出さない選手は使わない

 

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人生において大切なのは、引く時のタイミングであり、切る時のタイミング、そして攻める時は思いっきって、人目をかまわず攻めなければならないはず

 

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チームプレーなんて考えなくていい。自分のために一生懸命プレーすればいい。結局それがチームのためになるんだから

 

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むかちん