むかちん歴史日記226 秋といえばグルメ!もいいけどファッション🍁ファッションの巨匠たちシリーズ① 世界売れ行きナンバーワン~ルイ・ヴィトン
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は秋といえばグルメ!もいいけどファッション🍁ファッションの巨匠たちシリーズの第一弾!ってことで
世界売り上げNo1ブランドの創業者
ルイ・ヴィトン(1821-1892)
を紹介します(*^▽^*)
https://da.wikipedia.org/wiki/Louis_Vuitton_(designer)
◆1821年、ヴィトンはフランス東部の小さな村の比較的裕福な家庭で誕生します。
彼が10歳のときに母親が亡くなり、父親は再婚しますが、ヴィトンは義母を気に入ることはありませんでした。
1835年、ヴィトンはなんと、パリへ歩いて行くことを決めます。
2年以上にわたり400キロの道のりを徒歩で歩いて、16歳のときにパリへ到着します。
ヴィトンはレイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造職人兼荷造り職人)” のマレシャル氏のもとで見習いとなり働き始めます。
この木箱というのは、当時フランスでの主たる交通手段は汽車だったのですが、
非常に荷物が手荒く扱われたそうで、それから保護するために必要な木箱のことです。
それを作る職人がマレシャル氏で、ヴィトンは次第にマレシャルに重宝される職人になっていきます。
30歳になったルイはフランス随一の「荷造り木箱製造職人兼荷造り職人」となっていました。
実際彼は有名な仕立屋に頼まれて、出入りの難しいアトリエへ行き、世界に君臨するフランス・オートクチュールの豪華な衣裳の箱詰めに従事していたのです。
1854年にヴィトンは結婚し、そして世界最初の旅行鞄のアトリエ ルイヴィトンを設立します。
ヴィトンはすぐに自作のトランクを発表します。
ルイ・ヴィトンのトランクは、旅を意識したトランクになっており、
革よりも軽い防水加工の布を用いて、さらに重量も軽く仕上げ、
貴族たちからは非常に評判のいいトランクとして、売り上げをあげていきます。
そして、ヴィトンのカバンはフランス国内にとどまらず、
海外からも注文が殺到するようになるのです。
1885年にはついに海外初出店を果たし、
ロンドンのオクスフォード通りにルイ・ヴィトンストアがオープンします。
この売れ行きもあって、ヴィトンはコピー商品との闘いにさらされます。
軽い防水加工の布を使うという手段がとても賢明であったのですが
逆にとても容易にコピーがしやすかったのです。
次々とコピーされる新作に対して、ヴィトンは1888年息子ジョルジュの考案で、
ベージュと茶褐色のチェス盤に「登録商標ルイ・ヴィトン」の文字を入れた市松模様の柄「トアル・ダミエ」を創作します。
以後数年間、トランクの生地として活用され、これが、ダミエ・ラインの始まりです。
このダミエ・ラインが施されたワードローブはエッフェル塔の誕生とともに開催された1889年のパリ万国博覧会では見事金賞を受賞します。
参照元 今も残るダミエライン
1892年にハンドバックの販売も開始。
ヴィトンの勢いはとどまることを知りませんでした。
そんな中、ルイ・ヴィトンは71年の生涯を閉じました。
むかちん