むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記395 世界を代表する女性芸術家⑤ 作曲家として初めて成功したアメリカ人女性~エイミー・ビーチ

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は世界を代表する女性芸術家シリーズの第5弾!!!

 

創造的な作曲家として成功したアメリカ人女性

 

エイミー・ビーチ(1867-1944)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%81

 

◆エイミー・ビーチは1867年、アメリカ、ニューハンプシャー州に生まれ、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる、イギリスの国教会に反旗を翻して、アメリカに渡ってきた清教徒の家系でした。

また母親は結婚して断念したものの、それまでは優れたピアニストとして活躍していました。

 

4歳で即興演奏などを行うといった天才エピソードが残されており、6歳から母親の手ほどきを受けて、ショパンシューマンなどを演奏できるレベルになり、

1883年にピアニストとして正式にデビューします。

 

1885年、19歳のときに24歳年上のヘンリー・ビーチ博士と結婚します。

これに乗り気であったのは、母親だけで、しかも母親は音楽活動を自粛して、

家庭生活に重きを置くようにエイミーに強いて、エイミーもしぶしぶこれを受け入れます。

 

このように活動を制限された中で、エイミーは演奏よりも作曲活動の方に向かっていきました。

一方でビーチ博士は彼女に家事をほとんどさせなかったと言われていて、彼女の音楽活動に一定の理解を示していました。

 

1910年、ビーチ博士が不慮の事故で他界、翌年には母親も亡くなると、

一抹の寂しさを感じつつも、抑圧から解き放たれ、ピアニストとしての活動も再開しました。

 

そしてヨーロッパに渡航し、曲を披露して高い評価を受けました。

1914年第一次世界大戦が勃発して、アメリカへ強制送還されるまでの4年間、

ドイツを中心に演奏活動と外国生活を満喫します。

 

帰国してからも病で1930年に活動を自粛するまでは精力的に活動します。

そして、1944年、ニューヨークで亡くなります。77歳でした。

 

むかちん