むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記41 天璋院篤姫〜前進し続けた女性、1万人がその逝去を悼む〜

むかちんです(*^▽^*)

チョコ食べすぎました、、、ダイエットします笑。

 

今日は、かつて大河ドラマ宮崎あおいさんが演じて

一躍人気となった「天璋院篤姫」を紹介します(*⁰▿⁰*)

 

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参照元 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/天璋院

 

★略歴★

1836年薩摩生まれ

1856年徳川家定正室になる

1858年家定急死、落飾して、天璋院を名乗る

1867年大政奉還

1883年死去

 

篤姫、というと宮崎あおいさんのイメージが今はとても強いと思います。

でもどんなことをしたか、と言われると即答できる方も少ないかもしれないですよね☆

 

篤姫は非常に徳川家の事情に振り回された姫でありました☆

家定の正室は病弱な方が多く、次々になくなってしまうのです。

後継問題も出てくる中で、白羽の矢が立ったのが、薩摩だったわけです♪

しかも篤姫は健康だったので、尚よかったのでしょう。

 

そして彼女は非常に気さくな性格だったそうで、

晩酌をよくしていたそうなのですが、

自分でお酌に回ったりするものだから、周囲も驚いたそうです。

 

当時、身分が上の方がお酌をするというのはとても名誉なことだったので♪

彼女がそういったことを気にかけない性格だったことが伺えます。

 

和宮という14代将軍家茂の正室がいました♪

篤姫とは最初は険悪だったと言われていますが、家茂がなくなるとお互いに

若くして未亡人になったこともあり、分かち合います。

 

ただ、この頃は、薩長連合がいつ江戸を攻めてくるかわからなかった時代。

篤姫は薩摩出身だったので、自分故郷が敵になってしまったわけですから

運命に翻弄され続けていると言わざるを得ません。

 

彼女は気丈に徳川家の人間として生き続けました。

 

西郷隆盛が江戸の総攻撃を辞めたことには諸説あるそうですが、

篤姫からの嘆願書が大きかったのではないかと言われています。

 

切々と西郷に徳川家宗家の存続を心情に訴えかけるようみ嘆願するのです。

これが江戸の無血開城に繋がったと言われています。

 

篤姫明治維新後の1883年に亡くなりますが、

その葬儀に1万人以上が集まったそうです。

それだけの人望ある天璋院だったわけです。

本当にものすごい女性だったことが伺えます(*^▽^*)

 

篤姫の名言

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私は徳川家に嫁いだ以上、徳川家の土になるのは当然です。

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女の道は前へ進むしかない。引き返すのは恥でございます。

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むかちん