むかちん歴史日記397 母の日:歴史上の強い母たち② 戦国の世を妻として母として生きた強い女性~お市の方
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、母の日:歴史上の強い母たちシリーズの第二弾!!!
戦国の世で波瀾万丈の人生を歩んだ強い女性であり、母であった
お市の方(1547-1583)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%B8%82%E3%81%AE%E6%96%B9
◆お市の方は1547年に織田信秀の娘として誕生したとされますが、
お市の方の前半生については資料がほぼ残っていないために、生年も没年と年齢からの逆算とされています。
信秀には24人の子どもがあり、特に歴史的に名を知られているのは兄の織田信長で、
お市とは13歳離れた兄妹でした。
1567年もしくは1568年ごろにお市は兄・織田信長の娘分として、浅井長政に継室として嫁ぎます。
これにより、織田家と浅井家で同盟を結ぶことになります。
お市の方と浅井長政は仲睦まじかったようで、茶々、お初、お江の3姉妹を産みます。
いずれも歴史に名を刻む娘たちで、お市同様、戦乱の世を生き抜きます。
織田信長は浅井家と友好関係にあった朝倉家を攻めないという約束をしていたのですが
朝倉が信長の上洛命令に従わないとして朝倉攻めを敢行、これにより織田家と浅井家の同盟関係も崩壊し、浅井長政は信長を背後から攻撃します。
長政の裏切りに憤った信長は、すぐに兵を立て直し、姉川の戦いで浅井長政・朝倉義景の連合軍を破ります。
1573年、越前の朝倉義景を滅ぼした信長は、浅井家のいる小谷城攻めを行い、長政と父の久政は自害、お市の方と3人の娘は織田家に保護されるものの、
長政の息子の万福丸は秀吉により殺害され、万寿丸は出家させられます。
信長はお市と3人の娘のことを気にかけ、贅沢させたとされ、しばらくは平穏な日々を過ごすことになります。
しかし、1582年本能寺の変により織田信長が亡くなると、羽柴秀吉に実権が移り、お市も一説には秀吉の勧めによって、柴田勝家と再婚することになります。
1583年、勝家と秀吉が激しく対立、賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れると、
秀吉の軍勢が勝家の北ノ庄城に入り、勝家を運命をともにして、お市も自害します。
辞世は「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ郭公かな」
波乱の37年の生涯を閉じます。
お市の3人の娘たちも波乱の人生を送り、
茶々は豊臣秀吉の側室となり、豊臣秀頼の生母となりますが、大坂の陣で自害。
お初は京極高次に嫁ぎます。
お江は佐治一成の正室になったのち、豊臣秀勝の正室となり、最後は徳川秀忠の正室となって3代将軍家光を産みます。
むかちん