むかちん歴史日記76 反骨のジャーナリストにして、元総理大臣~石橋湛山
新宿から歴史を発信!むかちんです\(^o^)/
今日は反骨のジャーナリストにして、
元総理大臣の石橋湛山を紹介します♪♪
参照元 https://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1-15268
◆読者の皆様は石橋湛山元総理大臣という方をご存知でしょうか??\(^o^)/
個人的には尊敬する政治家の一人なのですが、
石橋湛山は自民党の第二代総裁であり、総理大臣も務めた人物です♪
◆石橋湛山は戦前より東洋経済新報社で代表取締役を勤めて、
植民地政策を一貫して批判します。
彼はすべての植民地を放棄すべきという主張で
これを「小日本主義」と言います。
彼や、東洋新報に匿名で記事を書いた人々は
常に冷静な分析で戦争の長期化を批判し、
内務省からの監視の対象にもなっていました。
◆第一次吉田茂内閣で大蔵大臣を務めます。
彼のすごいところは日本の国家予算の3分の一にあたる、アメリカ進駐軍への費用(戦争の賠償金として払っていた)を下げろと要求、
諸外国の評判を気にしたアメリカが2割減額に応じたのです。
石橋湛山という人物は本当に肝がすわった
正しいことを正しいというタイプの人でした。
中国、ソ連との国交回復を当時の鳩山一郎首相に進言し、
アメリカから反発を受けたときも、
「無視しましょう」と言ってしまいますから。
◆日ソ共同宣言を花道に鳩山首相が引退すると
石橋、岸信介、石井光次郎が自民党総裁選に立候補します(*゚▽゚)ノ
一回目投票では岸が一位になりましたが、
岸と石橋の決選投票で、石井支持派が石橋について
岸に7票差で競り勝ち、石橋湛山は内閣総理大臣になるのです☆
◆石橋湛山は福祉国家を構想し、
池田勇人を大蔵大臣にして、積極財政を掲げました。
ただ、彼は脳梗塞を患い、国会で答弁できなくなると、潔く退陣してしまうのです。
在職期間65日で、戦後では2番目の短さです。
この潔さは野党でさえ非常に好意的で、社会党書記長の浅沼稲次郎も「政治家はかくありたい」と言ったほどでした。
後任の首相には岸が選出されました。
◆退陣後、病状は回復、
ハト派の重鎮として、日中国交正常化に尽力します。
アメリカ追従型の岸内閣の新安保条約も公然と批判します。
◆名言
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民主政治は往々にして国民の皆さんのご機嫌とりの政治になる。私は皆さんのご機嫌を伺うことはしない。皆さんにはずいぶん嫌がられることをするかもしれないから、そのつもりでいてもらいたい。
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むかちん