むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

第101話 昭和天皇②〜戦後の昭和天皇

新宿から歴史を発信!!むかちんです。

 

今日は昨日に引き続き、

昭和天皇

の後半戦です☆

 

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参照元 

https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/14/sakomizu-the-longest-day-of-japan_n_17753684.html

 

昭和天皇終戦を決断した「聖断」というのはその後の研究で

様々な見解が示され、国民の命より国体の護持だったのではないかという批判もあります。

 

ここでは特定の批判などはしませんが

昭和天皇の戦争責任というのが一つのテーマとして俎上にあがったのは間違いありません。

しかし、A級戦犯などにはならず、そのまま生かされ、国体は護持されました。

 

これは一説によれば、天皇を生かしたほうが今後、占領政策をしていく上で、

日本を統括しやすいという見方があった、と言われています。

 

いずれにしても、昭和天皇極東軍事裁判で戦争責任を問われることはありませんでした。

 

1946年1月1日に「天皇人間宣言」が行われ、神格化された天皇が人間となり、

また大日本帝国憲法から日本国憲法の発布により、

象徴天皇制となり、天皇は「象徴」という扱いになります。

象徴としてのあり方には昭和天皇今上天皇もそのあり方には悩み、手探りできたと言われています。

 

昭和天皇は1989年1月に崩御されるわけですが、

1972年に返還される沖縄に行かれることは最期まで叶わなかったそうです。

ただ、日本で唯一、本土決戦であった土地で、たくさんの命を失った沖縄にたいする思いは強かったと言われています。

 

 

むかちん