むかちん歴史日記447 日本の歴史小説で扱われた人物たち② 真言宗の開祖~空海
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は日本の歴史小説で扱われた人物たちシリーズの第二弾!!!
仏教を日本で興隆させた真言宗の開祖
空海(774-835)
を紹介します(((o(*゚▽゚*)o)))
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7
参照元 https://www.amazon.co.jp/%E7%A9%BA%E6%B5%B7%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8F%B8%E9%A6%AC-%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/412202076X
789年に15歳で、桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の叔父である阿刀大足のもとで、論語、孝経、史伝、文章などを学び、792年には18歳で京の大学寮に入って、大学では明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを専攻しました。
793年、19歳のときに大学の勉強では飽き足らず、山林に入って修行をはじめ
24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論でもある『聾瞽指帰』を著して俗世の教えが真実でないことを示しました。
空海はこの山林での修行の際に仏教思想を幅広く学んだものと考えられています。
(このあたりの足取りを示す史料が少なく、断片的にしか判明していない)
ちょうどこのころに空海は悟りを開いたとされ、土佐室戸岬(現在の高知県)の御厨人窟(みくろど)と呼ばれる洞窟で修業をしているときに、洞窟の中で空海が目にしたものが空と海だけであったことから「空海」を名乗るようになった、と言われています。
804年、長期留学の学問僧として唐へ渡り、当時、すでに天皇の護持僧である内供奉十禅師の一人に任命されていた最澄も同じ遣唐使の一行にいました。
長安に到着をした空海は西明寺で精力的に学んだ後、青龍寺の恵果和尚を訪ね、教えを授かって、日本へと帰国します。
806年、九州に到着。在唐中集めた密教経典・法具などを記した『御請来目録』を朝廷に奉呈し、 筑紫観世音寺(ちくしかんぜおんじ) に住しました。
809年には朝廷の命により、高雄山寺に入住します。
ここで、真言密教を流布して、国家安泰を祈祷し、多くの僧侶が空海のもとを訪れました。
そして空海は歴代天皇の篤い帰依を受けて、仏教諸宗の中にも真言密教が浸透していきます。
816年、高野山を嵯峨天皇より賜り、その地で修法や著述に勤しみます。
835年、現在でも連綿で引き継がれる後七日御修法を修めます。
そして弟子たちに遺告を与え、逝去します。62歳でした。
むかちん