むかちん歴史日記140 スポーツ超人インターハイシリーズ⑤ テニスの黎明期を築いた〜熊谷一弥
新宿から歴史を発信!!むかちんですヽ(・∀・)人(・∀・)ノ
今日はスポーツ超人インターハイシリーズ第5弾!!
テニスの黎明期を築いた
熊谷一弥(1890-1968)
を紹介します(〃^∇^)o_彡☆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E4%B8%80%E5%BC%A5
福岡出身の熊谷は高校卒業後、慶応義塾大学に進学、
当時はテニスボールを製造をするのに必要なゴムを日本で入手することが困難であったため、軟式テニスが主体でした。
しかし、慶応義塾大学テニス部に熊谷が所属していた頃、テニス部が硬式テニスへの転向を正式に表明し、熊谷たちは日本で初めて硬式テニス(これは、日本特有の呼び方ではある)に挑戦することになります(〃^∇^)o_彡☆
1913年12月、フィリピン・マニラの東洋選手権大会に派遣され、
これが日本人テニス選手の初めての海外遠征となります。
1915年、柏尾誠一郎とともに極東選手権大会でシングルス、ダブルスともに優勝、
翌年、熊谷はシングルスは制するものの、三神八四郎とともに出場したダブルスは惜しくも決勝で敗れます。
1916年、熊谷・三神は全米選手権に出場、日本人初の4大大会出場選手となります。
この遠征で熊谷はいきなり全米ランキング5位となります。
1918年には日本人として初のベスト4に進出します。
1920年、熊谷はアントワープ五輪に出場、シングルス、ダブルスいずれも銀メダルを獲得し、日本人のスポーツ選手として初めてオリンピックメダルを獲得した選手となりました。
1922年、熊谷は年齢的にも30歳となり、また家庭の事情などもあって、一線を退きます。
1968年に熊谷は亡くなりますが、死後48年後にリオデジャネイロ五輪で錦織圭が銅メダルを獲得、96年ぶりとなるテニスでのメダリストが誕生しました(〃^∇^)o_彡☆
むかちん