むかちん歴史日記156 ランチタイムに読みたい日本の作家・漫画家シリーズ① 日本のギャグマンガといえばこの方~赤塚不二夫
新宿から歴史を発信!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、ランチタイムに読みたい日本の作家・漫画家シリーズの第一弾!
ギャグマンガといえばこの方
赤塚不二夫さん(1935-2008)
を紹介します( ^ω^ )
◆赤塚不二夫は、少年時代に手塚治虫の『ロストワールド』を読んで、衝撃を受け、
漫画家を目指します。
赤塚は『漫画少年』へ自身の漫画を投稿、1954年ごろに上京して、化学薬品工場に勤め始めてからも、投稿を続けてきた結果、石森章太郎の目に留まり、漫画同人誌に参加し始めます。
その後、1956年『嵐をこえて』で漫画家デビューを果たします。
漫画家の聖地、トキワ荘に移り住むものの、自転車操業状態に陥り、
一時は漫画家廃業を考えるものの、周囲の支援により継続。
1962年、週刊少年サンデーで『おそ松くん』、『りぼん』で「ひみつのアッコちゃん』の連載を開始し、一躍人気作家となります。
テレビアニメ化もされ、主題歌の作詞も赤塚が出がけました。
1967年、週刊少年マガジンに『天才バカボン』、週刊少年サンデーに『もーれつア太郎』を発表し、もはやその人気を不動のものとします。
いずれもアニメ化され、赤塚の漫画作品はその後も複数回リメイクのかたちでアニメ化されています。
1975年ごろの赤塚は多忙を極め、
週刊誌5本、月刊誌7本などを執筆する状態であった。
このころにタモリと出会い、芸能方面にも傾倒していきます。
タモリが芸能界で活躍するきっかけを作ったのが赤塚で、
タモリは赤塚の死の際に弔辞も読みました。
1978年には連載がすべて終了し、執筆活動は縮小していきます。
2000年ごろから体調を崩し、創作活動が大幅に減少、
2008年に亡くなります。73歳でした。
◆名言
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最後につじつまがあってりゃ何やってもいいんだよ
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自分だけの小さな世界から抜けられないヤツは好奇心がないんだ。オレなんか、世の中の知らないことにものすごく好奇心をもっていたから、毎日がおもしろかった
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努力もしたよ。売れるまでは必死に勉強した。いまの漫画の世界はどうなっているのかなって人の漫画を読んだり、手塚治虫先生のストーリー漫画を読んで、あのスケールの大きさを感じて、「あれは先生のものだから、自分は違う道を行こう」と考えたりした
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俺たちの時代は親がものすごく厳しかったから、「自分は自分なりに生きなきゃ」「自分の世界をつくろう」とガキの頃から思っていた。それが影響しているんだ。いまの若い人には、他人に依存して、誰かが何とかしてくれると思っている奴が多いじゃない? そういうのはやっぱり駄目だってことだよ。自分で自分をしっかり生きないと駄目なんだ
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ひとりで考え、ひとりで素晴らしい作品を生み出す人なんてそんなにいやしないよ。天才には必ずその天分を引き出す人間がいて、そいつのほうがもっとずっと天才だったりするんだ
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懸命に夢を見て、その夢を紙の上に実際に描かなきゃならない
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結局、オレたちの場合、やりたいことがはっきりあったってだけのことかも知れない
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ただバカっつったって、ホントのバカじゃダメなんだからな。知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの
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頭のいいヤツは、わかりやすく話す、頭の悪いヤツほど、難しく話すんだよ
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これでいいのだ
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むかちん