むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記273 芸術で世界に影響を与えた偉人シリーズ③ 現代でも多くのファンを魅了する写実的な画家~フェルメール

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は芸術で世界に影響を与えた偉人シリーズの第3弾!!!

 

現代でも多くのファンを魅了し、その写実的な技法が特徴

 

ヨハネス・フェルメール(1632?-1675?)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

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参照元 

http://park10.wakwak.com/~maepi11/sub27.htm

 

フェルメールは1632年、ネーデルラント(オランダ)のデルフトに誕生します。

1653年に結婚。この結婚は、フェルメール自身がカルヴァン派プロテスタントであったのに対し、嫁はカトリックであったため、当初は義母に結婚を反対されていましたが、立会人に間に入ってもらい、結婚に至ったようです。

 

また、フェルメール夫妻には15人子供が誕生し、そのうち4人は早世してしまうものの、夫妻を入れて13人の家族を画業で養っていくのは不可能であったため、裕福な義母のもとに身を寄せていたようです。

 

1655年に父親が他界すると、父親の家業を継いで、宿屋兼パブの経営に乗り出し、

また裕福な義母の後ろ盾もあり、彼は惜しげもなく絵にお金をかけることができました。

 

さらに生涯最大のパトロンであり、デルフトの醸造業者で投資家でもあるピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンに恵まれ、じっくり絵を描くことができました。

 

しかし第三次英蘭戦争の勃発によって、オランダの国土は荒れ、経済が低迷していくと

美術商でもあったフェルメールにとって、絵画自体の売れ行きの不振、また若手画家の台頭によって、彼の絵も売れなくなり、戦争の影響で、義母も以前ほど裕福ではなくなっていました。

 

莫大な負債でフェルメール自身、首が回らなくなり、資金繰りの途上の1675年、フェルメールは亡くなります。残された妻子も破産することとなりました。

 

フェルメールは生前、高い評価を受けましたが、18世紀には忘れ去られていました。

しかし19世紀にはいると、ミレーなどの印象派の登場によって、再び写実主義的なフェルメールの絵画が見直されるようになります。

 

また、20世紀のダリはフェルメールを絶賛していました。

 

現代でもフェルメールは人気のある画家で各地で展覧会も行われています。

 

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参照元 

http://succeed21.com/shopdetail/000000000803/

真珠の耳飾りの少女

 

 

むかちん