むかちん歴史日記328 ハワイの歴史にまつわる人々の物語③ 権益のためのハワイ併合を認めなかった正直さと高潔さの大統領~グロバー・クリーブランド
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はハワイの歴史にまつわる人々の物語の第三弾!!
正直さと高潔さでアメリカによるハワイ併合を認めなかった大統領
グロバー・クリーブランド(1837-1908)
を紹介します(*^▽^*)
◆グロバー・グリーブランドは1837年にアメリカ、ニュージャージー州に誕生します。
その後、家族と共にニューヨーク州北部に移住し、父親が亡くなったあとは、同州のバッファローに住む富裕で有力な伯父のところへ移ります。
そして1859年には司法試験に合格、保安官になります。
1881年バッファロー市長に選出、1882年にはニューヨーク州知事に選出され、その行政改革の手腕を認められます。
1884年に民主党候補として大統領選挙に出馬し、1885年に大統領に就任します。
彼は非常に大統領らしい大統領で、細部にわたるまで自分で決めないと気が済まない性格でした。
そこから共和党のベンジャミン・ハリソンが大統領になりますが、
共和党が大手産業を優先して、労働者を見放す姿勢を示したため、
1892年の大統領選では、大衆が民主党に流れ、再びグリーブランドが大統領に就任します。
グリーブランドはその誠実さと信念から膨張主義的な政策や実業界の利益が仕組まれたものに対しては消極的な姿勢を示しました。
その一つがハワイ併合問題です。
彼としてはアメリカには「ニュー府フロンティア」は消滅し、「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」は果たされたというスタンスでした。
そのうえでアメリカによるハワイ併合については「革命家たちの無法な占拠」として、認めない方針を貫きました。
結局、彼の在任中には行われず、のちの共和党マッキンリー大統領が「海のフロンティア政策」を掲げて併合するに至ります。
そのほかにもキューバの反乱に対しては中立を保ちます。
ニュージャージー州プリンストンで過ごし、プリンストン大学などで講演などを行います。
1898年にはマッキンリー大統領がフィリピンを併合する際に、
被治者の同意の必要性という建国以来の共和主義の理念に反するとして反対し、
このほか、逸話としてはグリーブランドはホワイトハウスで初めて結婚式を挙げた大統領としても知られ、28歳年下の奥さんをめとりました。
夫人はアメリカ史上最も若い21歳のファーストレディーでした。
またクリーブランドは一時期110キロもあった巨漢で知られます。
1908年、クリーブランドは71歳で亡くなります。
むかちん