むかちん歴史日記359 ランチタイムに教えたい歴史上の暴君たち④ 日本の暴君将軍〜足利義教
新宿から歴史を発信!!!むかちんですヾ(=^▽^=)ノ
今日は、ランチタイムに教えたい歴史上の暴君たちの第4弾!!
室町幕府第6代将軍にして、万人恐怖と言われた
足利義教(1394-1441)
を紹介します(*´∀`*)
参照元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%95%99
◆足利義教は1394年、3代将軍足利義満の子として誕生し、兄に義満のあとをつぐ義持などがいました。
1408年、得度して門跡となり、義円となり、この段階で義満の後継者候補からは外れました。
第5代将軍足利義量は将軍とは名ばかりで実権は父である義持が握っていました。
義量が急死してもなお、義持が実権を握り続け、義持は後継者の指名も拒み続けました。
そこで、石清水八幡宮でくじがひかれ、義持の死の翌日に開封された結果、
義円=足利義教が将軍となりました。
こうした経緯から義教はくじ引き将軍とも呼ばれます。
義教は将軍就任後、真っ先にやろうとしたことは失墜した将軍の権威復活でした。
天皇の皇位継承問題への関与、新続古今和歌集の執奏などがあげられます。
義持の代で中断させていた勘合貿易も復活させました。
義教は苛烈な性格として知られ、
闘鶏を見ていた人だかりが邪魔で義教の行列が通行できなかった、ということで闘鶏は禁止され、鶏を洛外へ追放したり、
酌の仕方は下手だと言って侍女を殴打し、髪を切って尼にさせたりなど
文献には「万人恐怖、言フ莫レ、言フ莫レ」と書き残されています。
義教の最期は1441年、赤松教康から「鴨の子が生まれたので見に行きましょう」と言われ、結城合戦の慰労という名目で連れ出し、
側近を伴って赤松邸へ出かけますが、そこで、赤松氏随一の武士によって首をはねられます。
満47才没。
のち、この赤松氏も追討されます。
むかちん