むかちん歴史日記389 歴史に名高い天皇特集④ 鎌倉幕府を破るものの南北朝の分裂を生んだ〜後醍醐天皇
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今日は、歴史に名高い天皇特集の第4弾!!
後醍醐天皇(1288-1339)
を紹介します。
参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%86%8D%E9%86%90%E5%A4%A9%E7%9A%87
◆後醍醐天皇は1288年に後宇多天皇の第二皇子として誕生します。
1308年に花園天皇の即位にとって、皇太子に立てられ、1318年に譲位され、天皇に即位します。
即位後3年間は後宇多天皇が院政を行い、後醍醐天皇は、兄である後二条天皇の遺児である邦良親王が成人して皇位に着くまでの中継ぎとして位置付けられており、
自己の子孫に皇位を継がせることのできない不満が募った上、
これを承認している鎌倉幕府に対しても不満を抱くようになります。
後醍醐天皇は倒幕の計画が六波羅探題によって発覚し、1331年には窮地に陥って挙兵しますが、幕府の圧倒的な兵力の前に敗れ、捕らえられます。
後醍醐天皇が京都から逃亡すると、直ちに廃位され、光厳天皇が即位します。
捕虜となった後醍醐は謀反人として隠岐へ流されます。
後醍醐は隠岐をなんとか脱出して挙兵、反幕勢力であった楠木正成や赤松則村も挙兵し、
足利高氏が後醍醐方について、六波羅探題を攻略、東国で挙兵した新田義貞は鎌倉を陥落させて北条氏を滅亡へ追い込みます。
そして帰京した後醍醐天皇は光厳天皇を廃し、建武の新政を行います。
これは貴族や武士など広範に渡る既得権益を犯すものであったため、
不評で、不満を募らせていきます。
そしてついに足利尊氏が離反し、楠木・新田軍を足利追討に向かわせますが、楠木は討ち死、新田は都へ落ち延びます。
そして後醍醐は比叡山に逃れて抵抗し、尊氏は光明天皇を新天皇に擁立、
後醍醐は吉野に自ら朝廷を起こし、ここから南北朝時代となります。
満50才没。
むかちん