むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記402 中国の歴史的勇士達② 劉邦に天下を取らせた最強の武将~韓信

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

今日は、中国の歴史的勇士達シリーズの第2弾!!!!


劉邦に天下を取らせた国士無双の最強の武将


韓信(生年不詳ー紀元前196年)


を紹介します。


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参照元 
https://app.k-server.info/history/kansin/


韓信は、現在の江蘇省の水辺の街に生まれ、貧乏で品行も悪かったため、職にも就けず、ふらふらして、他人の家に上がり込んで居候するなど無頼な暮らしをしていたため、みんなが彼を見下していました。


韓信は居候していた家も追い出され、飢えに苦しんでいるときに老婆に助けられ、なんとか生き永らえました。


彼は長尺の剣を携えていました。
あるとき、少年が長い剣を持っているが、実は臆病者なのではないかとからかいます。そうでないなら、俺を斬ってみろと。できないなら俺の股をくぐれと。


韓信は少年の股をくぐりました。
少年たちは韓信をあざ笑いましたが、韓信にはわかっていました。

ここで斬ったところで、仇討を生むだけ。無駄であると。

この逸話は「韓信の股くぐり」という逸話で現在にも伝えられます。


秦の始皇帝の没後、陳勝呉広の乱が勃発し、韓信項羽などに仕えますが、彼の進言が項羽に受け入れられることはありませんでした。


そして韓信はむなしく項羽の下を去ります。
そして、秦の滅亡後、辺境の地にいた劉邦に仕官するのです。

しかし、ここでの一兵卒としての扱いを受けたことに不満を感じ、仲間とともに罪を犯してしまいます。

これにより処罰されそうになりますが、韓信は自ら「漢王は天下に大業を成すことを望まれないのか。どうして壮士を殺すような真似をするのだ」と、自分が天下を取るためには不可欠の人材であることを訴えます。

これを面白く思った劉邦の側近、夏侯嬰(かこうえい)によって、韓信は生かされます。

しかし、なかなか思うような役にはつけなかった韓信は、蕭何(しょうか)という劉邦からの信頼が厚い人物に直談判します。

蕭何も彼の軍才を認め、劉邦に何度も推挙するもののなかなか受け入れられません。


このころ劉邦は西のへき地に追いやられていたために、多くの将軍が逃亡しました。
韓信もまた、己の職務に絶望し、逃亡しましたが、蕭何はこれを追いかけ、韓信を説得します。


劉邦は蕭何も逃げたのかと慌てますが、彼は「韓信だから追いかけたのです」と答えます。

韓信国士無双(他に比類ない人物)であり、他の雑多な将軍とは違う。(劉邦が)この漢中にずっと留まるつもりならば韓信は必要ないが、漢中を出て天下を争おうと考えるのなら韓信は不可欠である」と述べます。


これを聞いた劉邦韓信を全軍を指揮する大将軍に任ずるのです。


韓信は大将軍として、さっそく劉邦に戦略を語ります。
項羽は「匹夫の勇、婦人の仁」であると。

個人としては勇気あり、強いが大局観はない。
また好きな人物とは優しくできるが、能力の高い人物に報奨を与えることを惜しむ。

項羽に不満を抱くものは多い。
劉邦は人気が高いので、たちまち制することができると。

周囲は韓信を認め、劉邦もこれを喜びました。


5年という長丁場の戦いを経て、ついに劉邦項羽を垓下の戦いで破ります。

項羽の死が確認されると、楚の出身であった韓信は楚王に任じられます。


しかし、韓信に嫉妬したものが、「謀反の疑いあり」と流布したため、冷遇されるようになります。

この冷遇により、紀元前196年、韓信はついに反乱を企てますが、これは未然に密告され、防がれ、ついには斬られて絶命します。



むかちん