むかちん歴史日記424 お笑い・感動を与えたくれた心に残る漫画家たち④ 名作『ルパン三世』の生みの親~モンキー・パンチ
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、お笑い・感動を与えたくれた心に残る漫画家たちシリーズの第4弾!!!
誰もが知る名作『ルパン三世』の生みの親
モンキー・パンチ(1937-2019)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://popple-news.com/monkeypunch-musuko-ototo-nenshu/
◆モンキー・パンチ(本名加藤 一彦)は、1937年に北海道の漁師の家庭に誕生します。
学生時代は地元唯一の医師の下でレントゲン助手などを行い、漫画で患者を和ませていました。
手塚治虫の漫画の影響を受けて、漫画を描き始め、高校卒業後に上京し、貸本専門の出版社で漫画家のアルバイトをしながら、同人でも活動します。
アメリカのパロディ雑誌『MAD』の影響を受けて、アメコミ風に作風が変化し、それが編集者の目に留まって、1965年に「ムタ永二」のペンネームで『プレイボーイ入門』にてデビューを果たします。
1967年、『漫画アクション』の創刊号にて、『ルパン三世』の連載を「モンキー・パンチ」の名義で2年行います。これが大ヒットとなり、モンキー・パンチの代表作となります。
参照元 https://middle-edge.jp/articles/aHEQK
参照元 https://middle-edge.jp/articles/aHEQK
この「モンキー・パンチ」という名前はもともとは弟の加藤輝彦との共作名義と語られていましたが、あくまで弟はアシスタント的な役割を果たしていたそうです。
またモンキー・パンチは『トムとジェリー』の掛け合いがとても好きで、銭形=トム、ルパン=ジェリーのイメージでモデルにしているそうです。
1980年代以降、サンディエゴ・コミックコンベンションにてINKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞を受賞し、国内外から注目を集めるようになります。
2003年には東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に入学、2005年3月にこれを修了します。
2019年4月、81歳で他界します。
むかちん