むかちん歴史日記54 ココ・シャネル〜デザインの巨匠、波乱の人生〜
むかちんです(*^▽^*)
今日はあの高級ブランドの海の親、
ココ・シャネル
(1883-1971)フランス生まれ🇫🇷
を紹介します(((o(*゚▽゚*)o)))
https://www.amazon.co.jp/ココ・シャネルの言葉-だいわ文庫-山口-路子/dp/4479306722
◆今や誰もが知る超一流ブランド、シャネルを立ち上げた、ココ・シャネル氏♪
シャネルさんは母が11歳のときに病死、父にも捨てられて、孤児院や修道院で育ちます。
ココはキャバレーで歌っていたときに付けられた愛称だそうです(*^▽^*)
当初、彼女は歌手を目指していましたが、
オーディションでの落選ばかりが続き、道半ばにして、芸能へ道は諦めます。
諦めて、パリ郊外へ移ったときに、退屈しのぎに作った帽子が認められ、
帽子のアトリエを開業。
1915年に「メゾン・ド・クチュール」をオープンし、翌年コレクションを発表、これが大当たりするのです★
https://ameblo.jp/natsu-k19880219/entry-11946152391.html
めちゃくちゃおしゃれですよね!(((o(*゚▽゚*)o)))
1921年にはシャネル初の香水、No.5とNo.22を発表します☆
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ココ・シャネル
◆しかし、シャネルは映画で衣装が起用されたものの、
地味で不評であった上、一方的に当時人気があったエルザ・スキャパレリをライバル視して、
怒り狂ったと言われています。
また4000人を抱える企業になったシャネルで、労働環境改善を求めて、
労働争議が起き、シャネルは一代で苦労して築いたが故にこれは受け入れず、
一部店舗を残して、他のビジネスは閉鎖してしまい、一時の隠居生活に入ります。
◆この時期、第二次世界大戦で、フランスはドイツに占領されます。
ドイツに対するレジスタンス(抵抗運動)で、処刑、拷問されるフランス人が多数いる中、シャネルはドイツ人将校と懇意になったり、男爵の愛人になり、
愛欲にまみれた生活を送ると同時にユダヤ人資産家に明け渡した金融資産を取り戻すことを画策するが、失敗に終わります。
彼女のこうした動きは戦後、フランス人から非難を浴び、スイスへ亡命することになるのです。
◆シャネルはユダヤ資産家と裁判で激しくやり合った結果、
香水などの一部利益配分を受け取るなどして、ある程度の資金を確保し、
1954年、フランスへ帰国、再びブランド事業を行います。
フランスではシャネルへの嫌悪感はとても強かったものの、
アメリカで広く受け入れられるようになり、
シャネル・スーツの発表などで、モード・オスカー賞を受賞します。
このシャネル・スーツは当時、女性服はコルセットの多様された服を着ていたので、
シャネルはとても窮屈だと感じ、イギリスの紳士服を応用して、作られました。
女性モデルがポケットに手を突っ込むという仕草を初めてさせたのはシャネルで、
女性服にポケットがあること自体が当時は斬新だったそうです。
彼女は女性の自立を強く後押しした一人でした。
また彼女はかなりの痩せ型であったため、彼女自身がモデルとして映っている姿により、痩せているほうがかっこいい、という固定概念を生み出した、とまで言われています。
http://diacleaning.com/blog/進歩的、革新的アイディアで時代を作ったシャネ/
◆名言
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美しさは女性の「武器」〜であり、
装いは「知恵」であり、
謙虚さは「エレガント」である。
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失敗しなくちゃ、
成功はしないわよ
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天分は持って生まれるもの、
才能は引き出すものよ
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人生がわかるのは、
逆境のときよ
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翼を持たずに生まれてきたのなら、
翼を生やすために、
どんな障害も乗り越えなさい。
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20歳の顔は自然の贈り物
50歳の時はあなたの功績
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私の人生は楽しくなかった。
だから私は自分の人生を創造したの。
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心に響きます♪
むかちん