むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記68 イギリスとの戦い~林則徐

むかちんです\(^o^)/
19世紀に清(中国)に対して、アヘンを裁いてきたイギリスに抵抗した大臣

林則徐(りん そくじょ)(1785-1850)

を紹介します\(^o^)/

f:id:ooemaru:20180608121947j:plain
参照元 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%89%87%E5%BE%90


◆彼は貧しい家庭から一念発起して科挙(中国の役人になるための試験、かなり難関)に合格した努力家で

不正を働く官吏の処分、アヘン根絶の動きなどを当時の清の道光帝に評価され、欽差大臣に登用されます。


◆林則徐といえば、イギリスから密貿易された大量のアヘン(要は麻薬)を破棄したことで知られています。

当時、イギリスはイギリス、清、インド(英国の植民地)の三国で三角貿易を行っていました。

イギリスとインドでは、
イギリスから綿製品をインドへ送り、
インドに対しては貿易黒字でした。
(イギリスは当時、産業革命後で、綿製品が大量生産できたのもあり、インドの伝統的な綿織物はかなり苦境だった)

しかし、イギリスと清では、
イギリスが茶を輸入して、高価な望遠鏡などを輸出するかたちだったので、
通過としての銀も清へ流れてしまい、
イギリスは貿易赤字だったわけです♪
(当時、イギリスはいわゆる茶の消費量が高かった。コーヒーではなく、紅茶です。)

また清は当時、貿易を制限していて、
基本は外国が朝貢してくるというスタンスだったので、
積極的に自由に貿易だyeah!って感じではなかったのです♪

イギリスはこれに不満を募らせ、
なんとか対清貿易を黒字にすべく
中国官吏を金で買収して、インドからアヘンを流すことに成功、

銀をインド経由で取り戻すのです。

f:id:ooemaru:20180608123903j:plain
参照元http://paperbox110904.blog.fc2.com/blog-entry-91.html


◆清はアヘンに対する取り締まりを強化、
持ち込んだら死刑という厳しい姿勢で臨みます。

林則徐はアヘンを燃やします。

これがイギリスの商人の反感を買い、
1840年アヘン戦争へと発展します。

このアヘン戦争、結果的にどうなったかというと
イギリスに完膚なきまでにボコられます。

そして、大量の賠償金支払いがある南京条約まで結ばされ、林則徐は左遷されます。

さらに、香港はこのときにイギリスへ割譲され
イギリスの市場と化していく第一歩となります。

◆左遷された林則徐ですが、左遷先でも活躍し、
人望を集めたそうです。
そう考えるとかなりタフネスな人物だったんですね☆

彼は最後まで金に目がくらむこともなく、
清廉潔白だったそうです。


◆名言

無欲則剛(むよくすなわちつよし)
→自我を主張せず他者を受け入れられる者のほうが、結局は大きく強い


むかちん