むかちん歴史日記80 〜ドラえもんの生みの親〜藤子・F・不二雄
新宿から歴史を発信!むかちんです(*⁰▿⁰*)
今日は80回目!ドラえもんの生みの親、
藤子・F・不二雄先生(1933-1996)を取り上げます(≧∇≦)
http://fujiko-museum.com/welcome/
1951年に同級生の安孫子素雄(藤子不二雄A)先生とコンビで『天使の玉ちゃん』という漫画を描いたのが最初です。
その後、安孫子を無理矢理誘って上京し、藤子不二雄としての活動を始めます。
1988年にコンビを解消して、単独で仕事をするようになります。
藤子先生は全般的には、あまり映画やアニメの製作については細かく言わなかったそうですが、しずかのキャラクターと武田鉄矢の主題歌には強いこだわりを持っていたらしく、
武田を映画主題歌から外そうとしたときは強く拒絶したと言われています。
◆藤子不二雄のお二人は、手塚治虫先生の熱狂的ファンだった言われ、
ファンレターも送っていたほど。
そして手塚先生のいたトキワ荘にも居住します。
藤子F先生は長年のスランプもあり、ドラえもんも当初は短命に終わりますが、
そこから再度連載が始まると、人気もでて、今や国民的人気アニメとなりました。
◆藤子先生は、1996年に『ねじ巻き都市冒険記』の62頁を描いている途中で、鉛筆を握っていたまま亡くなっていたそうです
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◆名言
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人間はなんらかのトラブルにぶつかって、いろいろ悩みながら 切り抜けていくことで成長していく。それが大多数の人生のあり方ですよね
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のび太にも良い所が1つだけある。それは彼は反省するんです
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人気漫画を、どうやって描いたらいいか。そんなことが一言で言えたら苦労はしない
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何事も諦めずに、ねばり強くやっていくことが必要です。わかってもらえないと嘆くより、わかってもらうための努力をしなければなりません
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むかちん