むかちん歴史日記92 維新志士を育てた~吉田松陰
新宿から歴史を発信!むかちんです
\(^o^)/\(^o^)/
今日は数多くの志士に影響を与えた
吉田松陰(1830-1859)
を紹介します!!
(((o(*゚▽゚*)o)))
参照元 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%9D%BE%E9%99%B0
◆長州(山口県)生まれの吉田松陰は
幼い頃から叔父が開いた松下村塾で学び
また別の叔父からは山鹿流兵術を学びます(*゚▽゚)ノ
一方このころは列強の中国支配が進み始めた頃で
清がアヘン戦争でイギリスに敗れるなどを見ていたので
山鹿流兵術ではどうにもならないことを悟り、
西欧の兵術を学ぶため、九州へ赴きます♪
そして江戸へいき、佐久間象山らに師事します。
◆1853年にペリーが浦賀に来航し、
それを遠方から象山とともに見に行き、
大きな影響をうけます。
1854年に日米和親条約締結のため、
ペリーが再び浦賀に来た際に
隠れて乗船しようとするも、失敗、
投獄されます。
死罪は免れ、
杉家に幽閉されますが
この敷地に松下村塾の名を引き継いで開き、
一方的に教えるというよりは
共に議論をする場だったと言われています
─=≡Σ((( っ'∀')っ
◆その後、日本がいわゆる不平等条約である
日米修好通商条約を締結したことに激怒、
幕府こそ、日本の障害であるという立場にたち
老中の暗殺計画なども練りますが弟子の反対にあいます。
松陰は藩から危険視されるようになり投獄されます。
梅田雲浜が捕縛された際、
松陰と関係があったことから
安政の大獄に連座して、松陰も投獄され、
松陰自ら老中の暗殺計画などを話してしまうため
斬首刑となりました。
29歳でした。
◆名言
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夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。
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一日一字を記さば
一年にして三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、
百歳の間三万六千時を失う。
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大器をつくるには、
いそぐべからずこと。
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人間はみな
なにほどかの純金を持って生まれている。
聖人の純金もわれわれの純金も
変わりはない。
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小人が恥じるのは自分の外面である、
君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、
自分への約束をやぶる者が
もっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、
迷う必要は無い。
武士の心懐は、
いかに逆境に遭おうとも、
爽快でなければならぬ。
心懐爽快ならば人間やつれることはない。
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大事なことを任された者は、
才能を頼みとするようでは駄目である。
知識を頼みとするようでも駄目である。
必ず志を立てて、
やる気を出し努力することによって
上手くいくのである。
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自分の価値観で人を責めない。
一つの失敗で全て否定しない。
長所を見て短所を見ない。
心を見て結果を見ない。
そうすれば人は必ず集まってくる。
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むかちん