むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記158 ランチタイムに読みたい日本の作家・漫画家シリーズ③ 子供たちのヒーローを描いた巨匠~やなせたかし

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

ランチに読みたい日本の作家・漫画家シリーズということで、

今日はあの子供たちのヒーロー、アンパンマンの生みの親、

 

やなせたかしさん(1919-2013)

 

を紹介します(≧▽≦)

(以下敬称略)

 

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参照元 

https://gigazine.net/news/20131015-yanasetakashi/

 

やなせたかしは1939年に旧東京高等工芸学校図案科(現:千葉大学デザイン学科)を卒業後、徴兵により帝国陸軍の補充隊に入り、のち日中戦争にも出征します。

太平洋戦争では弟が戦死している。

 

1947年に高知から上京し、三越で勤務する傍ら兼業漫画家としてスタートするが、

1953年に漫画からの収入が三越から得られる収入の3倍になったのを機に、

専業漫画家となります。

 

しかし、手塚治虫らの「ストーリー漫画」が流行するようになり、

やなせらの「大人漫画」「ナンセンス漫画」は過去のものという扱いを受けた1960年代後半はきつかったそうです。

 

漫画家としての仕事が厳しかったやなせではあったものの、

舞台美術製作、放送作家などの仕事が次々と舞い込んでいたため、

生活は困窮しなかったそうです。

 

やなせ自身も基本的には仕事は断らない主義だったそうです。

こうした事情から業界内では「困ったときのやなせさん」といわれ、

やなせのことを漫画家とわかっていない人もいたそうです。

 

このときにできたコネクションで実は作品がいくつか生まれていて、

一つが永六輔のミュージカルの舞台芸術を手掛けた際に作曲家のいずみたくと知り合い、それがきっかけでやなせが作詞することとなった『手のひらを太陽に』は今や小学校では当たり前に歌われる曲になっています。

 

もう一つが虫プロダクションの劇場アニメ『千夜一夜物語』製作の際に、

手塚治虫がやなせの漫画を気に入って、美術監督に引き入れたことから、

手塚のポケットマネーでやなせの手掛けたラジオドラマ「やさしいライオン」をアニメ化し、これがやなせの代表作の一つにもなりました。

 

やなせはこうした人との関係性でその才能が広く知れ渡り

彼が絵本作家の道に進んだのも、当時はまだ弱小企業であった現サンリオの社長、辻信太郎との交流がありました。

 

当初は菓子のパッケージなどを手掛けたやなせですが、

やなせの詩集『愛する歌』を出す際に辻がやなせにサンリオから出すよう提案、

これがヒットして、サンリオの業績を押し上げることになるのです。

 

そこで1969年に描いた短編の一つが『アンパンマン』なのです。

 

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参照元 

http://deco-pon.org/index.php/page/anpanman

 

これです!これが初代アンパンマン、、、、

なかなかの衝撃であります。。。

 

今と決定的に違うのは基本スタンスが当時はやっていたウルトラマン仮面ライダーといった典型的なヒーローものへの「アンチテーゼ」であったということなのです。

 

正義というものはきれいなものではない、戦えば傷つくもの、というやなせの正義に対する強い考え方があったようです。

 

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参照元 

http://deco-pon.org/index.php/page/anpanman

 

これがその後、1973年に子供向けに改作したアンパンマンですが、当初非常にバッシングを受けます。

 

ですが、次第に子供向けの絵になっていき、爆発的な人気になるに至るのです。

 

1988年『それいけアンパンマン』がアニメ化されますが、当初は不安視され、なかなかスポンサーがつかずローカルの放送だったのですが、大人気番組となり全国ネットで放映され、やなせも一躍人気作家となるのです。

 

高齢により漫画家引退も考えたが、東日本大震災アンパンマンのマーチが復興ソングとして使われたり、子供はアンパンマンを見て笑顔になったという話を聞き、引退をやめます。

晩年は病気がちでありながらもユーモラスなキャラで表舞台にも立ち、

2013年、94歳で亡くなります。

 

◆名言

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生きる、生きている、生かされているということは本当にありがたい

 

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一寸先は光

 

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今日いちにち生きられたから、明日もなんとか生きてみよう

 

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死ぬときは死ぬんだよ!笑いながら死ぬんだよ!そうすれば映画の宣伝になる!死ぬまで一生懸命やるんだよ!

 

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世の中というのは、決して静かにならない。その中で、我々は日々、生きていくわけです。一寸先はなんだかわからないけれど、生きていくのが我々です。それが人生なんです

 

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人生、何があっても、これで終わりなんてことはないのだ

 

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ぼくは四十歳を越えてもまだ五里霧中で、挫折どころか、出発していなかった

 

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さみしさに負けそうなとき にぎりこぶしをつくりなさい げんこつで涙ふきなさい 過ぎたことなど忘れなさい

 

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なんのために生まれて 何をして生きるのか これはアンパンマンのテーマソングであり、ぼくの人生のテーマソングである

 

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幸福は本当はすぐそばにあって、気づいてくれるのを待っているものなのだ

 

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危難と地獄、辛酸のなかに重要な何かがある。長い人生では、一回や二回は地獄を通過したほうが、かえっていいのかもしれません

 

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「人が喜ぶかどうか」が何よりも大事だと思うんです

 

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チャンスは誰にでも平等にある。「どうせ、オレなんてダメだ」と言っている人は、チャンスをつかもうとしていないのではありませんか

 

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運にめぐりあいたいならなんでも引き受けてみるといい。自分の専門分野以外のことに広く眼を開き、経験したほうがいいのです

 

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ちゃんと利益が出て会社が儲かる、それによって僕が喜ぶ、読んだ人も喜ぶ。仕事をする以上、みんながいいほうがいいんです

 

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ばいきんまんは人間社会に必要なのです。無菌状態ではかえって危ない

 

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本当の正義の味方は、戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろうと。そんなヒーローを作ろうと思った

 

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ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです

 

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怪獣を倒すスーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです

 

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正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから

 

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お金持ちになれる正しい原則は、良心的なおもしろい仕事をすることです

 

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むかちん