むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記182 日本のノーベル賞受賞者シリーズ② 日本初の文学賞~川端康成

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)

 

今日は日本のノーベル賞受賞者シリーズの第二弾ということで、

日本初の文学賞を受賞した

 

川端康成(1899-1972)

 

を紹介します(≧▽≦)

 

f:id:ooemaru:20181009101158j:plain

参照元 

https://www.shinchosha.co.jp/writer/1257/

 

川端康成は幼いころに両親ともに結核で亡くし、祖父母の下に預けられます。

これが、川端ののちの作風にも影響を与えていきますが、

川端家は北条泰時から続く名家で、川端で31代目でしたが、彼の祖父の時代に

財産の大半をなくしている状況でした。

 

川端は幼いころは天気を予報したり、さまざまな予言ができたりしたといわれ、

周囲から重宝がられたそうです。

村では神童と呼ばれていました。

 

しかし、彼は両親に似て、虚弱体質であったため、祖母からは大事に育てられました。

 

1912年尋常小学校を卒業、このころには虚弱体質は改善されていたが

祖母も亡くし、離れて過ごしてはいたものの、姉も13歳で他界していたため

川端は孤独に耐えられず、唯一祖父がいたが、祖父を家に残して、外へ出歩く日々でありました。

 

康成は中学2年のときに小説家を志し、文芸雑誌などを読み漁ります。

そんなとき、祖父も他界します。

 

ついに天涯孤独となった川端は悲しみをこらえながらも

この経験が人一倍鋭い感受性を川端に与えます。

 

川端は中学の寄宿舎に入り、文学を読み漁ります。

 

1920年、川端は高等学校を卒業し、

東京帝国大学文学部英文学科に入学します。

 

このころに川端は自身の才能を見出した作家であり、実業家、文芸春秋の創設者の菊池寛に出会います。

身寄りのなかった川端は菊池の支援を受けて、生活をするようになります。

 

菊池から様々な文学者を紹介してもらい、そのうちの一人が芥川龍之介で、交流を重ねるようになります。

 

1923年に菊池寛の『文芸春秋』の編集に参加するようになります。

 

1924年に大学を卒業し、横光利一らとともに『文芸時代』を刊行、

この同人誌には、新感覚派(感覚的にとらえた現実を知的に構成していく作風)と呼ばれた、新進作家が集まりました。

 

1927年にはかの有名な『伊豆の踊子』を刊行します。

 

その後、川端の代表作には

『雪国』『山の音』『古都』などがあります。

 

1968年、川端はノーベル文学賞を受賞します。

 

受賞理由は、

「日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現、世界の人々に深い感銘を与えたため:"for his narrative mastery, which with great sensibility expresses the essence of the Japanese mind."」

で、対象作品は『雪国』『千羽鶴』『古都』と、短編『水月』『ほくろの手紙』などでした。

 

しかし、川端はその3年後、師弟関係にもあり、親しくしていた三島由紀夫の割腹自殺に大きな衝撃を受け、1972年、川端はガス自殺をします。72歳でした。

 

◆名言

ーーーーーーーーーー

どんな花かて、見る時と場所とで、胸にしみることがあるもんや

 

ーーーーーーーーーー

一輪の花美しくあらば、われもまた生きてあらん

 

ーーーーーーーーーー

日本の子供には、もっと孤独を教えないと、思想は生まれませんね

 

ーーーーーーーーーー

一輪の花は百輪の花よりもはなやかさを思わせるのです

 

ーーーーーーーーーー

ささいなことが私たちを慰めるのは、ささいなことが私たちを悩ますからだ

 

ーーーーーーーーーー

騙されないで人を愛そう愛されようなんてずいぶん虫のいいことだ

 

ーーーーーーーーーー

誰にもかれにも、同じ時間が流れていると思うのはまちがいだ

 

ーーーーーーーーーー

むかちん