むかちん歴史日記188 挑戦し続ける日本の経営者シリーズ③ ゴム工業・自動車産業の発展に貢献~石橋正二郎
新宿から歴史を発信!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、挑戦し続ける日本の経営者シリーズの第三弾!
ブリヂストンの創業者
石橋正二郎(1889-1976)
を紹介します(*'▽')
http://www.ishibashi-foundation.or.jp/founder/
◆1889年に福岡で生まれた石橋は、久留米商業学校を卒業後、
病気療養中の父の希望により、兄とともに家業の着物などの仕立て屋を継ぎます。
兄が徴兵されてしまったため、実質一人で家業を担うことになった石橋は
仕立て屋では将来性が見えないというところから、足袋製造を専業とすることを決意します。
足袋製造は順調に拡大し、規格化された製品を大量生産するために、新工場を設立します。
石橋は経営や販売の近代化を進めたことでも知られ、
経営面では大量生産をしていたことから、多くの労働者を雇い入れる必要があったため
それまでの古い徒弟制度を廃し、給与制を導入します。
また、販売面ではそれまでサイズによって金額が違っていた足袋を一律価格にし、
効率よく販売できるシステムを整えました。
1918年には兄を社長とする日本足袋株式会社を設立。
四大足袋メーカーの一翼を担うようになります。
1930年には日本足袋にタイヤ部門が設立され、
1931年に「日本タイヤ株式会社」として分社独立化。
1951年には「ブリヂストンタイヤ」に社名変更し、現在のブリヂストンに至ります。
鳩山の長男威一郎(のちの外相)に自身の娘安子を嫁がせます。
この威一郎と安子の間に生まれたのが
石橋は1976年満87歳で亡くなります。
ブリヂストンはその後も躍進を続け、2005年にはフランスのミシュラン社を抜いて
世界シェアトップになります。
◆名言
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気は長く持つが、行う時は気短でなければならぬ。
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私は朝早くから夜遅くまで、日曜も祭日もなく一生懸命に働いた。タイム・イズ・マネーを実行したので人の3倍くらいは仕事したろう。また、父からタバコや酒はのむなと言われて今日まで実行している。
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一生涯の目的を達成せんとする者は、いかなる固執も、障害も、目前の名利も介さず、忍ぶ、粘る、堅忍持久、終始一貫、最後の目的に突進することである。
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わざわいは口からと言う。言葉をつつしみ、自分の偉さを表そうとはせず、気取られなければかえって人に尊敬され、親しまれ、自分も楽しみが多い。威張り、虚勢をはる人は他からも嫌われ、孤立し、人望を失うに至る。
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むかちん