むかちん歴史日記204 ランチタイムに見たいコメディアンシリーズ④ 吉本新喜劇の巨星~岡八郎
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、ランチタイムに見たいコメディアンシリーズの第4弾!!
吉本新喜劇の巨星、
岡八郎(1938-2005)
を紹介します(*^▽^*)
◆岡は1938年、兵庫県尼崎市で生まれ、父が喜劇役者であったため、幼少期から芸事に触れて育ってきました。
1958年宝塚映画に入りますが、1年で退社、1959年に師事していた花菱アチャコの勧めで吉本新喜劇へ第一期生として入門します。
最初は本名の市岡輝夫名義で舞台に上がっていました。
1960年、漫才に転向し、当時コンビを解消していた浅草四郎と組みますが、
1968年四郎が自殺します。
一時は吉本を離れますが、復帰し、新喜劇の座長を務めます。
その風貌から「奥目の八ちゃん」と親しまれ、
「くっさー」、「えげつなー」、「隙があったらかかってこんかい!」、「ガオーっ」等の定番ギャグを多数持ちます。
新喜劇においては、
昔ながらの大衆食堂の店主、工事現場の労働者などの役回りを演じ、
花紀京との掛け合いはとても人気を博しました。
舞台のイメージとは逆で、極度のあがり症であったことから、
飲酒量が増え、アルコール依存症となって、胃がん、急性膵炎、脳挫傷などを患い、
特に脳挫傷のあとは記憶障害になってしまったため、事実上の引退状態になりました。
しかし、本人の舞台への復帰の思いは強く、
2002年にはなんばグランド花月の舞台に立って、
弟子のオール巨人・阪神との新喜劇や娘の裕子との父子漫才なども行います。
2005年、肺炎による呼吸器不全で死去。67歳でした。
むかちん