むかちん歴史日記280 音楽・映画・テレビ、メディアで活躍した偉人たちシリーズ⑤ 数多くのテレビの音楽を手掛けたピアニスト~羽田健太郎
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(*^▽^*)
今日は音楽・映画・テレビ、メディアで活躍した偉人たちシリーズの第5弾!!!
テレビ番組のメインテーマ曲などを手掛けるピアニスト
羽田健太郎(1949-2007)
を紹介します(≧▽≦)
http://haneken.justhpbs.jp/sub1.htm
◆羽田健太郎は1949年、東京に生まれます。
3歳でピアノを習い始め、4歳の頃には祖父が羽田に協調性を学ばせるために
東京少年少女合唱隊に羽田を入れます。
これが羽田と音楽との出会いでした。
小学校2年のときに合唱からピアノへ転向、中学2年のときの進路相談で、音楽学校へ進みたい旨を教師に伝え、当時桐朋学園助教授で厳しい指導で有名な有賀和子を紹介してもらいます。
同じく中学2年のときに、銀行員だった父が亡くなり、母と祖父に育てられます。
中学2年から有賀のレッスンを受け始め、基礎からやり直しを徹底的にした羽田はなんとか桐朋高校に受かります。
羽田が高校に入ると、母親は防音のため、家を改築、グランドピアノを購入します。
この年の夏休みは毎日12時間ピアノの練習をするという猛特訓をしたそうです。
大学のピアノ科は首席で卒業、卒業試験では最高点を取り、桐朋音楽賞を受賞します。
桐朋を卒業する際に、師匠の有賀から進路を問いただされると、羽田は軽音楽へ進むと答えました。これに対し、有賀は羽田を事実上、破門します。
しかし羽田はクラシックピアノで生計を立てることの難しさを理解しており、
少しでも早く母親に孝行したいという気持ちが強かったため
軽音楽に活路を見出しました。
大学卒業後、スタジオミュージシャンとして活動を開始。
ジャズピアノを学び始めます。
クラシック出身で確かな技量をもったスタジオ・ミュージシャンというのが当時はほとんどいなかったため、どんどん仕事が回ってきて、羽田は多忙を極めていたそうです。
30代に入るとクラシックの仕事も徐々に増えるようになり有賀との師弟関係も復活、
一方で軽音楽奏者としても活躍。
40代になってからは音楽バラエティ番組への出演の機会を増やしていき、
服部克久の『ピアノでポップスを』(NHK教育)、『タモリの音楽は世界だ!』(テレビ東京)などに出演します。
ニュースステーション(テレビ朝日)で自作のピアノ曲を演奏し、幅広い人に羽田は知られるようになります。
『おもいっきりテレビ』(日本テレビ)にコメンテーターとして出演し、知名度を上げることで
コンサートなどの演奏機会を増やすことにも成功しました。
1998年に慢性的な飲酒はたたって、体調を崩し、ニュースステーションを降板。
健康の問題でピアノの演奏は難度の低いものへ移行し、指揮者にシフトします。
2007年、肝細胞がんのため、死去。
58歳でした。
むかちん