むかちん歴史日記297 ドラム・ギター・ボーカル・・・伝説的バンドマンを追う② ロックンロールブームの先駆者~ビル・ヘイリー
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はドラム・ギター・ボーカル・・・伝説的バンドマンを追うシリーズの第二弾!!!
ロックンロールの先駆者でアメリカのミュージシャン
ビル・ヘイリー(1925-1981)
を紹介します。
https://www.udiscovermusic.jp/stories/haley-his-comets-alligator-rock
◆ビル・ヘイリーは1925年にアメリカ・ミシガン州で生まれ、幼少期に両親とともにペンシルヴァニア州へ移住します。
ペンシルヴァニアでも当時、カントリーミュージックは非常に人気があり、ヘイリーの音楽の基盤を培いました。
10代から路上演奏を始めて収入を得はじめ、
ギタリストとしていくつかのバンドに在籍、北西部へ巡業します。
1948年に地元へ戻ると、「フォーエイセス」を結成し、ラジオなどへの出演を始めます。
カウボーイ・レーベルで2枚のシングルをリリースするもヒットに至らず、
その後も転々とレーベルを変えていくのですが、ヒットにはなかなか恵まれませんでした。
1950年にはバンド名を「ザ・サドルメン」に変更しています。
その後も様々な挑戦が行われ、
1951年には白人が黒人音楽をカヴァーするという当時のタブーを行い、ヘイリーのプロフールや顔も伏せました。
そして彼らのロックンロールがまさに「創造」されたのは
1952年である。
ラジオでジミー・プレストンの「ロック・ザ・ジョイント(Rock The Joint)」を使用。
同曲を聴いた瞬間に人々はざわめきだしました。
同年にバンド名を「コメッツ」に変更します。
1953年、4月「クレイジー・マン・クレイジー(Crazy Man Crazy)」を発売すると、大ヒットし、最終的には100万枚売り上げました。
1954年、レーベルを移籍し、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」を発表。ビルボードで最高位7位をつけます。
映画の主題歌として、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が採用され、ビルボードのチャートで8週連続1位を獲得します。
これを契機い全米で一躍ロックンロールブームを巻き起こします。
しかし1957年にはライブは相変わらず盛況ではあったが
セールスが伸び悩み、停滞ムードになっていきます。
エルヴィス・プレスリーなど若い世代の台頭によって、
確実に時代は彼らの前を過ぎ去ろうとしていました。
1961年にメキシコへ移住、同国でツイストブームを巻き起こし
1970年代が海外公演を中心に活動します。
1981年、脳しゅようにより死去。55歳でした。
むかちん