むかちん歴史日記299 ドラム・ギター・ボーカル・・・伝説的バンドマンを追う④ ザ・キング・オブ・ロックといわれた~忌野清志郎
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日はドラム・ギター・ボーカル・・・伝説的バンドマンを追うの第4弾!!!
キング・オブ・ザ・ロックといわれ、
ステージで大きな存在感を見せた
忌野清志郎(1951-2009)
を紹介します(*'▽')(*'▽')
https://okmusic.jp/news/162489
◆忌野清志郎は1951年に東京都で誕生します。
清志郎の実父ではないが、母親の最初の結婚相手は戦死しており、また母も清志郎が3歳のときに33歳で他界するため、
伯母夫婦に養子として引き取られます。
中学時代にエレキブームが巻き起こり、そこで刺激を受けて
ベンチャーズのカヴァーバンド、「No Name」を結成、音楽活動を開始します。
その後のフォークブームにも刺激を受けて、バンドを結成、高校時代には友人の影響でブルースにも引き込まれていきます。
1968年、R.C.サクセションを結成。
1970年『宝くじは買わない』でデビューを果たします。
芸名の「忌野」は「マイティ・ハーキュリー」というテレビアニメで
悪役「鉄仮面」登場シーンにおいて、
「あの忌まわしい鉄仮面」というナレーションを幼少期に「カッコイイ言葉だな」と感じ、「今わの際」という日本語と掛け合わせて「忌野」と命名したそうです。
1972年「ぼくの好きな先生」がヒットしてからは低迷しますが、
1977年から精力的なバンド活動を展開。
徐々にライブハウスで人気が出始め、デヴィッド・ボウイの影響なども受けてメイクを始めた結果、あの独特で奇抜な風貌へとなっていきます。
1980年「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」がヒット。時代の寵児となっていきます。
1985年ごろからメンバーのソロ活動が活発化し、バンド活動は停滞していきます。
1991年にはついにR.C.サクセションの無期限活動休止を発表。
1994年には俳優活動も開始。
さらに同年、映画『119』に音楽監督として参加して、
翌1995年の第18回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞します。
プライベートではサイクリングにはまり、
その熱は晩年まで冷めることはなかったそうです。
2006年にガン宣告を受け、一度は活動を再開するものの、
転移が見つかり、再入院、2009年逝去します。
58歳でした。
◆名言
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いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ
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勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
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希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ
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ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ
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一生懸命生きろ!
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ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
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むかちん