むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記316 九州を舞台に登場する偉人① 九州を主戦場に襲来した~フビライ・ハン

 新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、九州を舞台に登場する偉人シリーズの第一弾!

 

九州を主戦場に異国より襲来してきた

 

フビライ・ハン(1215-1294)

 

を紹介します。

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%93%E3%83%A9%E3%82%A4

 

フビライ・ハンは1215年にチンギス・ハンの四男、トルイの子としてモンゴルで誕生します。

 

兄のモンケがカアンの座につくと、フビライは中国方面の領土の征服をゆだねられ、

1252年には雲南に遠征、1253年には雲南を領地に置く大理国を降伏させます。

 

1258年、兄のモンケが亡くなると、兄弟で後継争いが起き、フビライが皇帝となります。

 

1260年に即位したフビライはモンゴルでは初めて中国風の元号を取り入れ、さらに政府の統治機構なども中国風のものに統一していきました。

 

外征的にはフビライは夫人との間に設けた3人の嫡子をそれぞれ地域の王に任じて統治させます。

 

1276年には南宋の都、臨安を占領、実質的に南宋を滅亡させます。

その一方で運河などを整備して、モンゴル帝国の首都、大都が経済的に発展するようにすると

東西交流が盛んとなり、マルコ・ポーロら多くの西方人が訪れるようになります。

 

対外的には積極的に進出し、朝鮮の高麗やビルマのパガン朝は滅亡させますが

二度にわたる日本への遠征、いわゆる元寇は失敗に終わります。

 

この元寇は1度目の1274年を文永の役、1281年を弘安の役と言いますが、

主として、九州北部が戦場となりました。

 

フビライは日本が豊かであるという噂を聞きつけて関心を抱き、侵略しようとしましたが、

いわゆる「神風」といわれる暴風雨がモンゴル軍を襲ったといわれ、

これが日本を侵略から救ったといわれています(一部真偽が定かでない部分もあるようですが)。

 

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参照元 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%99%E5%8F%A4%E8%A5%B2%E6%9D%A5%E7%B5%B5%E8%A9%9E

蒙古襲来絵詞

 

フビライはその後、子たちの後継争いが起きる中で、1294年に78歳で亡くなります。

 

 

むかちん