むかちん歴史日記377 2010年代に映画化された原作作家たち② 2011年公開『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』原作者~アレクサンドル・デュマ・ペール
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は2010年代に映画化された原作作家たちシリーズの第2弾!!
『三銃士』の原作者として知られるフランスの小説家
アレクサンドル・デュマ・ペール(1802-1870)
を紹介します(*^▽^*)
参照元 https://www.jiji.com/jc/v4?id=20121219_midipyrenees&p=midipyrenees12
◆アレクサンドル・デュマ・ペールは1802年にフランスのナポレオン軍の将軍であった父と母の間に誕生し、父は黒人と白人が混血したいわゆるクレオールでした。
ナポレオンが父の死後に、遺族年金を給付しなかったことから、デュマは貧しい生活を余儀なくされ、まともに学校教育を受けれませんでしたが、本人もさほど勉強したいとは思っていませんでした。
15歳のときに公証人役場で見習いとして働き始め、17歳のときにシェークスピアの『ハムレット』の劇を見て感激し、劇作家を目指すようになります。
その結果、パリに上京し、オルレアン侯爵家の秘書室に勤める傍ら、歴史や文学の勉強に励みます。
1829年には『アンリ三世とその宮廷』という戯曲の成功によって、その名をたちまちとどろかせました。
やがて、歴史教師でフランス史に造詣の深い、オーギュスト・マケと手を組んで歴史小説も書くようになりました。
当時は、フランスの新聞各紙が購読者を増やすために小説の連載を始めたことに目を付けたデュマは、『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』、『三銃士』に始まる『ダルタニャン物語』、『王妃マルゴ』、『王妃の首飾り(英語版)』などを連載して、いずれもベストセラーとなり、売れっ子作家となります。
こうして富を得たデュマは毎夜酒宴を開き、女優たちと浮名を流すようになります。
さらに国王ルイ・フィリップの五男モンパンシエ侯爵の庇護下に置かれ、自らで劇場を作り、自分の作品を劇に上演させることで、大きな富を得ていました。
しかし1848年に二月革命によって後援者であったルイ・フィリップがフランスを追われ、さらに革命後の混乱期で人々が劇場から遠ざかるようになると、劇場は赤字を出すようになり、ついには破産します。
晩年は資産のほとんどを使い果たし、少量の絵画くらいしか残っていなかったそうです。
彼は一方で人種差別を受けてきた経験から政治的には共和主義・自由主義にたち、七月革命では革命軍として参加、またナポレオン3世の圧政を受けた知識人の保護なども行いました。
1870年、息を引き取ります。68歳でした。
映画『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』の原作、『三銃士』とは?
◆あらすじ(映画版)
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名誉ある騎士の称号である“銃士”に憧れ、パリを訪れた青年ダルタニアン。
彼は運命のいたずらから、フランス最強の三銃士と出会い、やがて王室を揺るがす巨大な陰謀へと巻き込まれていく。
王妃との「秘密」を握るイギリスの貴族バッキンガム公爵と、正体不明の美女ミレディの黒い影が立ちはだかるなか、戦いの舞台はヨーロッパ大陸から空へ!
参照元 http://openers.jp/article/12869
参照元 http://openers.jp/article/12869
ちなみに主人公、ダルタニャンが「三銃士」の一人であると勘違いされやすいのですが
ダルタニャンは三銃士ではなく、むしろ物語は主人公と三銃士が出会うところから始まっていきます。
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むかちん