むかちん歴史日記407 紙幣に登場してきた歴史の偉人たち② 経世済民を目指して報徳思想を唱えた~二宮尊徳
新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)
今日は、紙幣に登場してきた歴史の偉人たちシリーズの第二弾!!!
二宮尊徳(1787-1856)
を紹介します(*^▽^*)
参照元
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3
◆二宮尊徳は現在の神奈川県小田原市の百姓の長男として誕生します。
父の利右衛門は、義父より13万石の田畑と邸を受け継いでおり、当初は豊かでしたが、散財を重ねていました。
1791年に南関東を襲った暴風で酒匂川が氾濫し、田畑も家も流失すると、一転貧しくなってしまいます。
1797年父が眼病を患ってからは、尊徳(金次郎)が生計を立てていくことになりますが、酒匂川の堤防工事への従事と、夜の草鞋づくりを行います。
父が亡くなり、1802年には貧しさで母が亡くなると、祖父の下に身を寄せることになります。
金治郎は、毎日あくせく働いていたのですが、夜に読書をすることが燈油の無駄遣いだと祖父に罵られます。
そこで金治郎は堤防にアブラナを植えて、そこから菜種油をとり、燈油として使いました。
金治郎は1806年、20歳で生家を再興し、地主・農園経営者を行いながら、小田原に出て武家奉公人としても働きます。
金治郎が小田原を名を挙げたのは過労の服部十郎兵衛の服部家の家政の建て直しを依頼され、五年計画で財務を立て直したことでした。
その後も村の荒廃からの復興などを行い
1833年天保の大飢饉が襲った際には、小田原の救済を行います。
1856年、3度目の病により70歳で亡くなります。
むかちん