むかちんの歴史日記

歴史大好き男による歴史のあるあるやトリビアを綴る日記★

むかちん歴史日記468 歴史の名軍師③ 戦国時代の天才軍師~竹中半兵衛

新宿から歴史を発信!!!むかちんです(≧▽≦)

 

今日は、歴史の名軍師シリーズ第三弾!!!

 

戦国時代の天才軍師、

 

竹中半兵衛(1544-1579)

 

を紹介します(*^▽^*)

 

Takenaka Shigeharu.jpg

参照元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E9%87%8D%E6%B2%BB

 

竹中半兵衛は1544年、美濃齋藤氏の家臣で大御堂城の城主、竹中重元の子として誕生します。

 

1556年に齋藤道三とその子、義龍の間での戦、「長良川の戦い」が起こると、半兵衛は道三の側につき、初陣を飾ります。

 

1560年、道三を破って家督を継いだ義龍に半兵衛は仕え、さらに義龍の嫡男、龍興に仕えます。

 

当時、尾張織田信長による美濃侵攻が激しさを増していましたが、半兵衛の戦略で齋藤軍は辛勝します。

しかし、龍興は酒や女に溺れ、一部の側近を寵愛して、半兵衛を遠ざけたため、半兵衛らは龍興の居城を襲撃し、城は半年後には返還されますが、結局、信長によって陥落させられます。

 

齋藤家を去り、浅井家で一時的に過ごしますが、そこを去ったのちは浪人として暮らしました。

 

そんな折、かつて敵対していた信長は半兵衛を家臣にしたいと考えていました。

勧誘を命じられた木下藤吉郎(のちの秀吉)は三顧の礼で半兵衛を引き入れたのです。

 

信長の勢力が強まってくると、信長包囲網が敷かれるようになります。

その一人が浅井長政です。

半兵衛は浅井家に仕えていた人脈を生かして調略を計り、一部を織田に寝返らせるなどしました。

姉川の戦いにも参加して、秀吉に貢献していきます。

 

豊臣秀吉には「二兵衛」と呼ばれる2人の天才軍師が側近としておりました。

一人は竹中半兵衛、もう一人は黒田官兵衛です。

 

黒田官兵衛は1578年、有岡城の戦いで、荒木村重が信長に反旗を翻した際、村重を説得するために派遣されますが、逆に幽閉される事態となります。

信長は官兵衛が寝返ったと勘違いし、官兵衛の息子、のちの黒田長政を殺害するよう命じますが、半兵衛はここでも一計を案じて、偽の首を差し出し、長政は九死に一生を得ます。

 

のちに救い出された官兵衛はこれにいたく感謝したというエピソードもあります。

 

1579年、半兵衛は三木合戦の最中、病に倒れ、亡くなります。36歳でした。

 

むかちん